高橋信次の新ユートピア論 
2013/07/21 Sun. 15:25

ユートピアとは、一体何なのでしょう。
ユートピアについて深く考えた事がある人、それは、いったいどれだけいるでしょうか。
言葉は知っているけれども、考えた事はないという人、
理想郷、桃源郷、そんな夢の世界のように思っている人もいるかもしれません。
実際にはないけれども、夢の中にはある、こうした考えもあるでしょう。
すべての人間が慈しみ合い、愛し合い、そしてお互いに善きことのみを言い合うような、
褒め合うような、そういう美しい世界というのが本当にあるんだろうか。
そうしたことをいろいろ考えてみても、なかなか現実性がないように思われるけれども、
理想的な姿としては、そういう世界もあってもよいかな、とは思ってみるかもしれません。
ところが、こうした、私達が、夢、幻の如く考えているユートピアというのは、実際に存在するのです。
どこに存在するのか、それは、この地上を遥かに去った高次元世界、多次元世界のなかに、現にあるのです。
昔から、仏様の世界、金剛界とか胎蔵界とか、曼荼羅などに表現されている世界ですけれども
そのような世界が現実にあるのです。
そして、そうした実在世界においては、人々は本当に心から調和し、お互いに尊敬し合い、お互いに慈しみ合い
愛し合っているのです。
そうした世界が、現にあるのです、本当にあるのです、みなさんは冗談かと思うかもしれないが、
本当に存在するのです。
地上では、食事をしなければ生きてゆけません、そのためにはお金が必要です、
しかし、あの世のユートピアでは、お金など必要ありません、お金など要求する人はいません。
みんな、善意で他人に奉仕し、それを生き甲斐としている人たちばかりです。
そして、そこにいる人たちは、心は調和されきれいです。
他人のことを悪く思うような人はいませんし、他人に悪口を言ったり、他人から批判を受けたり、
こういうこともありません。
みんな心が安らいで、お互いに本当に神の子として、長所を伸ばし合っているような世界、
そして、争いは一切ありません、このような世界が実在界に本当にあるのです。
なのになぜ、この地上ばかりに、こんな苦しい世界が広がっているのでしょうか。
本当に、神はいるんだろうか、神なんていないのではないか。
神がいないというのは、あまりにもこの世に悪が満ち満ちており、他人を見ても、
本当に神の子なんだろうか、仏の子なんだろうか、とても信じることができない。
こうした考えがあるからでしょう。
ただ、やはり、この地上を去った世界に、現実にそうしたユートピアの世界があるということは、
この地上にも、そうしたユートピア世界を持ち着たらすことは、可能であると考えられるわけです。
本来、そうした世界があって、そこに住んでいた住人たちが肉体を持ち、
地上に出てくることがあるという以上、
そしてまた、わたしたちも、この世の修行によって、あの世のユートピア世界へと還ってゆける可能性がある以上、
地上にもそうしたユートピアをつくることは可能であり、現実にそれは私達の努力によって、
そうした世界を創っていくことは可能ではないかと思うのです。
ユートピアというのはどこにも無い世界のことではありません。
現にあるのです。
あるけれども、今、地上界に、それが無きかの如き景観が現れているだけなのです。
それは、私たちの努力の積み重ねによって、やがて取り戻してゆかねばならぬ、
地上の楽園でもあるということです。
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