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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

心の探求 -正しき心とは- 9  

心の探求128-184


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正しき心の探究①
    正しさの基準を知って、そのルールに添った自分をだんだんに創っていく


したがって、正しき心の探究というのは、この正しさの基準というものをまず知って、
このルールに添った自分というものを、だんだんに創っていくということになります。

人間の心というものは自由自在でありますけれども、これを唯物的なものと考えて、
脳みそのなかにあるしわだけが心だと思っているような人にとっては、
死んであの世にも心があるということの納得がいかないはずです。
それは一つの迷いであります。

心の操縦、運転、作用というものを考えた時に、
今いった基準によって判断した正しい教えというものを、
実践していくということがだいじなわけです。

これは、知り、かつ行なうこと、陽明学でいう知行合一といいます。
知るということと、行なうということが合して一つとなる、これがだいじなことです。

この陽明学の教え、中国の王陽明という人が説いた教えがありますけれども、
その知行合一の教えというものは、じつは中国的に現われたる仏教の教えそのものであったということです。

正しい教えというものを知って、それに則った生活を実践していくということが、
陽明学の本質でありますから、これはまさしく、仏教の根本と同じであり、
それが違った形で出たということになります。

このように、「正しき心とは」という問いに対して答えていくとするならば、
まず神理を知るということ。これが第一で、次に、
知った神理に則った行動をしていくということです。

正しき心の探究②
   神の創られた世界を発展させながら調和させていく方法


神理の中味は多様です。それを一概にいうのは難しいけれども、
ただいえることは、神が神である理由は、自分の創ったものを愛しておられるということです。
自分が創った宇宙、地球、人間、生物、そしてさまざまな風景、
こうしたものを必ず愛しておられるはずです。

そうであるならば、神が愛したもうものを、人間もまた愛するであろう、
愛してほしいというのが、その願いのはずです。

したがって、正しき心の探究は、結局のところ、
神の創られた世界を、大きく発展させながら、調和させていく方法だということになります。

すべての入間が、仲睦まじく生きていくことができて、そして社会全体が発展していく。
こういう生き方が本当です。

これを私は、「私的幸福」と、「公的幸福」ということで話をしています。

人間は、自分自身の幸福という、「私的幸福」を探究することが、これが一つの義務であります。

けれども、この「私的幸福」は、他人の幸福を妨げてはならないのみならず、
他人の幸福をも増進するものでなくてはならないという「公的幸福」という使命を持っております。

「私的幸福」と「公的幸福」という二つの幸福の探究、
これこそ、神が願っておられることにほかならないのです。

正しき心の探究は、結果として「私的幸福」と「公的幸福」の実現、
調和発展につながっていく


したがって、人間が正しい知識を持って、それを生活に実践していく方法は、
私的な幸福と、公的な幸福というものを、共に追究していきながら、
それを大調和していく方法、ということになります。

人間として生まれた以上、最大限の自分を発揮する、自分を最高に生かしていく、
というのが、これが「私的幸福」の探究の原理です。

また、自分を最高に生かし、最高に発揮し、最大限の仕事をしながら、
他の人びとを幸せにしていくというのが、「公的幸福」です。

結局、正しき心の探究は、結果として、「私的幸福」と「公的幸福」の実現、
その調和、発展、そうしたものにつながっていくはずです。

その目的性というものを、一つの絞りとして、逆思考をして、
正しき心の探究とは何なのか、これを考えていく必要があるわけです。

そうした目的さえ誤らなければ、
心のなかに去来する思い、そしてその実践たる行ない、
これを調整していくことができるのです。

これが人間に課せられた一つの大きな使命でもあるといえると思います。
これが本章で私が語りたかった「正しき心の探求とは何か」ということになります。

それは、神の心を心として生きるということであり、
神の心とは何かというと、それが「正法」判断の基準にのっとった教えの発見であり、
その発見を元にした行動基準であり、

その行動の結果として創られる「私的幸福」と「公的幸福」の世界、
すなわち、これ、地上ユートピアの建設ということです。

正しき心の探究とは、結局、自分の幸福と他人の幸福とを合わせた、
地上ユートピアの建設という結果となって現われてくるのです。

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「正しき心とは」何なのか、ということについて数回にわけて紹介させていただきました。
いかがでしたでしょうか。

人間本来の姿とは、心そのものであり、その心を正してゆく事こそが本来の幸福につながるのである。
それが、本章の内容であると思います。

この事をかてとして、みなさまが真実の幸福を手に入れていただくことを祈ります。



-正しき心とは- 8

category: 心の探求

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