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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

心の探求 -正しき心とは- 8  

心の探求128-184


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正法の定義②
  何らかの人智を超えた現象を伴うこと


第二点は、何らかの人智を超えた現象というものを伴うということです。

キリストにしても、釈迦にしても、モーゼにしても、マホメットにしても、
それぞれ時代を傑出した巨人となった理由は、
やはり通常の人間ならざるものを示したということになっている。

何らかの現代的知識や科学をもってしては証明ができないような、
そうした現象を伴うということ。
奇跡を伴うということ。これもまた正法の認定の材料です。

神が、そうした偉大な人を送り込んできて教えを説かすとするならば、
その人の教えを支援するために、さまざまな援助をするはずです。援助をしないわけはないのです。

神がする援助は何であろうかというと、
その人が真実の教えを説いていることを証明するための材料を与えるはずです。
その人にとっての武器を与えるはずです。

これがある時には霊言となったり、霊視となったり、霊聴となったり、
あるいは三世を見通すカとなったり、いろんな超能力としてあらわれる場合となるわけです。

結局、神が自分の教えを広めようとして選んだ人を出した場合には、
何らかの援助が伴うということです。


正法の定義③
  現代人の知性と理性に訴えかけて矛盾しない理論の存在


三番目の基準は、理論としても筋が通っているということです。

単なる鰯の頭も信心ではないけれども、
とにかく理由もなくありがたいというものであってはおかしい。

神が宇宙を統べる方であり、宇宙の理法の体現者であるならば、
そこから流れ出した教えもまた、宇宙の理法を体現しておらねばならない。
宇宙の理法を体現しているということは、そこに理路整然とした筋があるはずです。

つまり、一番目で、私は人類の知的遺産との共通性があることを言いましたけれども、
同じように、現代人にとっても、納得のいくような理論があるということです。
その現代人の、知性と理性に訴えかけて、納得を得られるような理論があるということです。

とにかく、そのペンダントに手を合わせれば自分が救われるというようなことは、理論の筋が通っていないのです。
とにかく戒名をつければ幸福になるというのは、理論の筋が通っていないのです。

なぜ戒名をつければ救われるのか、幸福になるのかの理論がない。
なぜペンダントを首に下げれば幸福になるのか、その理論がない。
そうした理論を、人類の幸福というならば、なぜ幸福になるのかということの、
つじつまの合った理論が必要です。

理論的にその説明ができないものは、やはり正法としての定義から外れるということです。

以上で、三つの基準を私はあげました。
第一番目に、人類の知的遺産と共通する教えがあるか。
第二番目に、なんらかの神の援助と思われる現象を伴っているか。
第三番目に、生きている人間が見ても、納得がいくような理論があるかどうか。

単に「信じなさい」というような飛躍のある教えになっていないかどうか。
換言すれば、その教えのなかに合理性があるかどうかです。

人類の知的遺産との共通性、何らかの現象、そして理論としての整合性、合理性、
この三本の柱を立てたいと思います。

この基準でもって判断して、正しい教え、神から出た正法だと思われるものであるならば、
あとはこの交通法規にのっとって、人間は運転をしていくということになります。



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-正しき心とは- 9

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