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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

心の探求 -正しき心とは- 5  

心の探求128-184


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神の存在証明①
  この世の中のすべてのものは創られたるものとしての痕跡がある


こうした方、第一原因者としての神がいられるか、いられないか、
これを人間はしっかりと掴むことができないけれども、
先ほど言った定義も、またこの神の存在を補強するための、証拠づけるための、材料であることは事実です。

結果に対しては原因があるということを考えれば、やはり、
この世界を創ったものがあると考えることは、常識的に考えても筋が通っております。

この世界を偶然にできたと考えるのは、最近の流行ではあるけれども、
これはある意味で、長い目、あるいは広い目で見るならば、異常な思考といわざるをえません。

偶然に人間ができるでしょうか。
人間がアメーバーから偶然に進化してくるでしょうか。

人間というものは、いってみれば、超高層建築のようなものです。
四十階建て、五十階建ての高層建築のような、目的性を持ったしくみを持っているのです。

ところが、現在の進化論の主流というのは、
偶然の連鎖によって人間ができていると、
現時点の肉体と精神を持った人間ができていると主張しております。

これはいってみれば、コンクリートのかたまりや砂や砂利や、あるいはプロックとか、
鉄筋とか、こういうものが転がっていて、偶然に風が吹き、偶然に雨が降って、
コンクリートがこねあげられて、そして、いつの間にか鉄筋が積み上がって、
つまり、偶然に地震か何かで鉄筋が積み上がって、そして超高層ビルができた、というのと同じなのです。

人間のしくみの複雑さを知れば知るほど、
それが偶然に、そういう材料の寄せ集めでできたものでないことは、明らかであります。

それは、目的性を持っているのです。

人間の肉体だけを見ても、DNAとかRNAとかいうような、遺伝子の情報システムによって、
人間の肉体ができているということが、生物学によって解明されているけれども、
これをもってしても説明とはなっていないのです。

なぜ両親からDNAとかRNAとかいうような遺伝子の情報が伝えられるのか。
この情報とは、そもそも何なのか。
この分析ができていないのです。
偶然にそういう情報が伝わると考えるのは異常であります。

これは、今の例でいうならば、五十階建ての超高層建築ができたなら、
その設計図を窓からひらりと落としたならば、
隣にもまた同じようなビルが建ったということと同じようなことになります。

遺伝子情報があるからといって、まったく同じものができるという、
その不思議そのものを探究しなければ、意味がないわけです。

ビルの設計図を落としたところで、もう一つのビルは建たないのです。
ビルを建てるためには、その設計図を見て、それを造る人がいなければ建たないのです。
そういうことだと思います。

したがって、第一原因論としての神というものも、合理性があるわけです。
すべてこの世のものは、創られたるものとしての痕跡がある。

それは、生きているものもそうであるし、生きていない鉱物や、あるいはいろんな建造物にしても、
原因者としての創った者がいる。
それならば、第一原因者としての神というのを考えるのは当然ではないでしょうか。



-正しき心とは- 4

-正しき心とは- 6

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