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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

谷口雅春霊言集 -天上界に帰る- 5  

谷口雅春霊言集128-184


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あの世の世界は波長の世界

あの世の世界は、いわば波長の世界なのである。
あなた方はともすれば、目に見えない地獄というものがあり、目に見えない天国があり、
そうした国が厳然とあって、そこで人間が居住するかのように思っておるであろう。

しかしそれは、人間的感覚によって分かるような比喩であり、物体であるのだ。
本来の世界は波動の世界であり、その波の世界なのである。

荒い波動の世界、つまりこの世界に生きている者は、
たとえば、テレビという受信装置を使ってその映像を受信するならば、
地獄という映像がテレビに映るのである。

また精妙なる波動を放送している、その電磁波に同調している魂というものは、
たとえばテレビで受信するならば、非常に美しい世界を映し出す。天国的な映像を映し出す。

こういうものであって、あなた方の身のまわりにももちろん、目に見える電波、
目に見えない電波というものが行きかっておるのであるが、
普段、その存在には気がつかぬであろう。

しかし、これをラジオ装置なりテレビ装置なりを設けるならば、
その像を受信することができ、その声を開くことができる。

その電磁波をラジオに収録し、その波長に合わせたならば、それはあるときは地獄の呻き声となり、
あるときは天使のコーラスとなる。
またあるときは、地獄的な地獄絵図がテレビに展開され、あるときは、牧歌的な天国の姿が映るのである。

あの世の世界はこういうものであって、物理的なる国としての天国、地獄があると思ってはいけないのである。
あくまでも波動の世界であり、波長の世界であるということだ。

それを人間的にとらえるがために解釈し直して、
天国、地獄という人間的なる者が往んでいる世界として表現をしているのである。
これを誤解してはならない。

このようにあの世の世界というものは、この波長の世界、
波動の世界が非常に精妙に区別されており、波長の合わない者同士は同通しないことになっている。

すなわち個人の織りなす人生の波長によって、個人の魂が響かせる人生の調べによって、
音楽によっていくべき世界が異なってくるのである。
これ、あるときは如来界、これ、あるときは菩薩界という。
これ、あるときは神界と言う。あるときは霊界、幽界というのである。

これも、そういった世界があるというよりは、そのような波長の、波動の世界があるということだ。

したがって、この世を遥かに去った世界があるというよりは、
この世界をいろいろな電磁波が飛びかっておるように、
そうした世界が混在してこの三次元のなかにあるということだ。

四次元の世界は三次元のなかにあり、四次元のなかに五次元があり、五次元のなかに六次元がある、
このような多重構造の世界となっているということだ。これを間違ってはならぬ。

一時代前のように西方浄土に阿弥陀如来が住んでいて、念仏をとなえたる者が、
その西方浄土にて、阿弥陀仏と一緒に生活できるわけではないのである。

このように地上の人間のまず考えるべきことは、その人間の五十年、六十年、七十年の生涯において、
その人間が一生を通じて織りなしたハーモニー、波長、曲奏、そうしたものが、あの世に反映されるということだ。
これには、例外はない。

この地上であらゆる限りの悪をつくして生きて、あの世で天国に楽しんでいることもなければ、
この世で本当に天使のように生きて、あの世で地獄の底にのたうちまわることもないのである。
そうしたことはありえない。

ただ、この世で天使のような顔をして教えを説きながら、
その内面は非常に地獄界を展開していたがために、人からは聖人と言われながら、
地獄でのたうちまわっている宗教家たちは数多い。

また、この世においては自らを悪人だと思っていたにもかかわらず、
あの世において聖人と列せられている人も数多くいる。

たとえば親鸞だが、親鸞は生きていたときに、
自分の悪業、悪人としての性格というものを徹底的に見つめたであろう。

晩年の彼は地獄に堕ちるのではないかと恐れていたはずである。
家人たちもまた、それを恐れていた。
しかし彼は、地獄へは堕ちなかった。

彼は天上界で今、やはり光の天使として生きている。立派に生きている。

このように本人の自覚とは別に、ちゃんとした法則があって、それに基づいて、
高級なる波長と低級なる波長というのが分けられるのである。
まず、それを考えておかねばならない。

それは本人が自分が高しと思っても高くないのと同様、低しと思っても低くないのもまた、神理である。

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いかがでしたでしょうか。
五回にわたって、天上界に帰る、という内容を紹介させていただきました。

私たちが死後、どのような世界の赴くのか、それを感じ取っていただけたなら幸いです。
このことは、遅かれ早かれ、すべての人が体験することであるのです。

私たちの本来の姿は、肉体ではなく、そこに宿っている魂であり、心であり、
死してなお、生き通しの、永遠の生命をもった存在なのだということを、片時もわすれずに
日々精進していっていただけたらと思います。




category: 天上界へ帰る

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