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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

谷口雅春霊言集 -天上界に帰る- 2  

谷口雅春霊言集128-184


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死後の世界のガイダンス

そうして地上を、たいていの人間はまあ四十九日というが、実際は二十日乃至三十日であって、
そのくらいはただよっておるのです。

そうして初七日が終わったあと、まだ悲しみにくれている遺族とともに、
まだ家のなかにとどまっては、共に生活をしているようなつもりでいることが多いのである。

しかしその二十日、三十日の間に、彼らは徐々に霊としての自覚を持つようになる。
そして、自分が今や飲まず食わずとも、生きていかれることを当然のこととして感じるようになる。

そしてまた、地上の人々にいくら話しかけようとしてもその声は聞こえず、
いくら肩に手をかけても、その手が肩を通り抜けて、彼らを驚かすこともできなければ、
彼らに気づかすこともできないということを悟るのである。

たいていの霊は、もうこれ以上この地上にとどまっても自分は生活を送れないということに気がついてくる。
そのころを見計らって、本人の守護霊というものが迎えにくるのである。

そしてその死の自覚を十分にさせるために、
本人の父親なり母親なり、姉なり兄なり、叔父なり、叔母なり、
すでに身内の者であってこの地上を去っているものを共につれてきて、
その者をして死後の世界を語らしめることがほとんどである。
それからあの世への門下生としての初歩を教えるのである。

それはちょうど、小学校にあがる前の子供たちの姿に似ている。
この春、三月、桜が咲かんとしているときに、親たちにランドセルや教科書を買ってもらう、
学校にあがる前の子供たちの姿にも似ていようか。

この地上でいかに偉大なる人物としていばっておった者であっても、死ねば、あの世では赤子同然だ。
あるいは小学生の最下級生にも及ばぬような霊知識しか特っておらぬ。

問題は、この地上にいたときに驕りたかぶっていた人たちである。
彼らは自分が社長であったとか、一国の大臣であったとか、役所の偉い人間であったとか、
警視総監であったとか、あるいは学校の校長であったとかいう人たちだ。

つまり、この世的には、昇りつめたということで、
人に対して訓辞を垂れ、教えることのみを当然としていた人であるわけだが、
他界して後、小学生の最下級生になることに、戸惑いをおぼえ、狼狽するのである。

イエスは言った、「心清き人は幸いである。汝等は神を見るであろう。」そういうことを言った。
有名な山上の垂訓でいくつかのお教えをイエスは言った。

この世で小さき者は、あの世で大きくなり、この世で大きな者は、あの世で小さくなるとも言った。
己れを低くする者は高くされ、己れを高こうする者は低うされるとも言った。

それはまず、この最初の死の関門において、その言葉は実現するのである。
すなわち、この地上において己れを大きな者と思っておった者が、あの世で自分の小ささに気がつき狼狽する。

しかし、この世において、謙虚に自分を見つめ生きてきた者は、あの世に帰りて、その謙虚さ故に学習が進んでいくのである。

自分の小ささを知っている者は幸いである。彼らは大きくなるであろう。
自分の小ささを知らない者は災いである。
彼等は他界して後、大いなる辛酸をなめる。

こうして死後十日の間に、自らの守護霊、そして縁者の者たちの話を聞きながら、
人々は徐々に死後の世界のガイダンスを受けるのである。



category: 天上界へ帰る

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