谷口雅春霊言集 -天上界へ帰る- 1 
2016/10/18 Tue. 22:02

今回は、谷口雅春霊言集の中から、天上界に帰るという章を紹介したいと思います。
谷口雅春という方は、生命の実相すなわち、人間の本質は神仏と同じであり、
光り輝く神の子であるという思想のもとに、人類光明化運動を推し進められた方であります。
その方が帰天されたのちメッセージを送られたものが、今回紹介する本書であります。
本来ならば生命の実相というものの真髄を紹介するべきところではありますが、
本書には、私たち人間が死後、どのような世界に赴いていくのかということを非常にわかりやすく、
なおかつ平易、そして具体的に説いてあります。
多くの人にとっては、むしろそちらの方が知りたい内容ではないかと考え、
以下に、その内容を紹介させていただこうと思います。
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あの世の実感
まず、人間の死ということに関してであるが、
まあ、たいていの人間は、死の瞬間、自分というものの意識が混乱に陥っており、
そして、自分がいざ肉体を離れるということにおいて大変な驚愕をするものである。
なぜならば、死後の世界というのは、まったくの未知の世界であり、誰からも教わったことがなく、
また、ほとんどの人は書物においても、死後の世界をさほど学んでいないことが普通だからである。
たまには宗教心ありて、あの世のことどもを学んだとしても、
あの世のことどもを語っておる宗教書はなにぶんにも古いものが多く、千年、二千年前の仏教書であったり、
あるいは、二千年前のイエスの教えから一歩も前進しておらぬキリスト教であったりするのだ。
たとえば、キリスト教徒であるのなら、二千年前のイエスの教えのままに、
自分はイエスを信じてきたから永遠の生命を受けることができるのであるか、あるいは、
炎の炉のなかに投げ込まれる野の草花の如く燃えつきて、その身、その命を失うものであるか、
そうした審判というものを恐れて、わなないておる者もいる。
あるいは、仏教徒として死に、そして自分が野辺の送りとなり、
坊主が来て読経する姿を見て、どうやら自分は死んだらしいということに、はじめて気づく者もおる。
だが死んだ者の一様に思うのは、自分が日蓮宗であろうが、あるいは浄土真宗であろうが、
そうしたことに関わりなく、経文というものをあげられるのであるが、
その意昧がさっぱりと分からないということである。
お経をあげるということによって、自分が、すでにこの世の人間ではないということは、
すべての人間が気づくのであるが、いかんせん経文をあげる本来の意味が失われている現今においては、
坊主の一時間、二時間の経文は、彼らにとっての救いとはならんのである。
死んだばかりの霊たちは、そうした経文に一生懸命耳を傾けておるのであるが、
それによって悟りを開くこともなく、それによって救われることもない。
やがて自らの肉体が焼かれ、骨壷に納まり、墓に納まり、線香をたてられ、
写真を飾られ、鐘を鳴らされる。
人々が水とかお茶とか、あるいは御飯とかをまつっている、その姿を見て途方に暮れるのである。
自分は死んだばかりであって、食べ物をまつってくれても、それを食べることができない。
山のように果物を積んでくれても、それをどうすることもできない。
死んだことは分かったけれど、死後の方針がたたないというのが、大体の事実なのである。
category: 天上界へ帰る
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