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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

永遠の法 -五次元の世界- 7  

永遠の法120-171


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7魂の糧

すなわち、この悲しみや苦しみというものは、迷いであって、
本来ないんだと言いきっていいかどうかという問題があるわけです。

本来悲しみなし。本来苦しみなし。それらは迷いの姿であって、実在ではないのだという考え方もあります。
ただ私は、これに対しては、やはりひとつの異議を唱えるものであります。

神は神である以上、何らの進歩、発展がないのです。

神が神である以上は、それは完全であり、無欠であり、そして、
自然であり、至愛であり、至福である。すなわち、究極の善であり、究極の真理であり、究極の美である。

こうした存在であるならば、神は神として何らの進歩、発展、また、喜びをともなわないものであると思うのです。

神は、ちょうど庭仕事のようなもの、たとえば、庭園をつくるような気持ちでもって、
この大宇宙を創られたと思われるのです。

そして、あそこに岩をすえ、ここに池を堀り、ここに魚を放ち、また、
小さな木を植えたり、大きな木を植えたり、果物を実らせたり、
あるいはまた、ときには、雑草を植えてみたり、さまざまなことをして、
ひとつの庭という景観を創るために努力をされたのではないかと思われるのです。

そうしてみると、人間の目には、不完全に見えるさまざまなものごとも、
実は、神がひとつの庭園を創るために醸し出された情緒、これにしかすぎないのではないか、と。

だから、雑草というのも少しはあってよい。背の高い木もあり、低い木もあって、あるいは、
うず高い小山だけではなくて、池のようにえぐれた部分もある。

こうしたさまざまなものがあって、神の庭園ができているのではないか。
神はその庭づくりを楽しんでおられるのではないか、と。
こうした感じもあるわけです。

ですから、悲しみや苦しみは、実在とまでは言いきることはできないけれども、
ある一定の制約のなかで、そうしたものの存在を許されていることが事実なわけです。

先ほども言ったように、喜びというのは、これが不在となったときに悲しみとなるのかと言うと
必ずしもそうではなくて、喜びがなくなっただけでは、涙は出ないのです。

涙が出るというのは、やはり悲しみという積極的作用もそこにはあるということですね。

楽しみというのがなくなったときに、すぐ苦しみになるかと言うと、そうではなくて、
苦しみにも積極的な原因というものがある場合もやはりあるのです。

まあ、こういうように、悲しみ、苦しみというのもあるわけですけれども、それは、
悲しみ、苦しみが現にあって、それで良きものと思われているからあるのではないということです。

この地上の悲しみや苦しみ、また、四次元界、五次元界の魂の苦しみ、悲しみ、これは、
大きな飛躍のための悲しみや苦しみであるということも事実なのです。

ですから、このように、自分はこういうようにしたいと思うことがなかなか実現しないという場合、
それに悲しみや苦しみがつきまといます。

また、自分の意図に反した結果が現われたときに、それが苦しみとなったり、
またその結果次第によっては、悲しみとなって涙がほとばしる。
こういうようになるわけです。

けれども、この涙は、この汗は、決して涙のための涙ではなく、汗のための汗ではなく、
より高次元なものを招くための、清涼感の前の汗であるのだということ、これを知らねばならぬということです。

したがって、この世の世界を苦の世界、苦しみの世界とか、悲しみの世界とか見てしまわないで、
苦や悲しみもあることはあるけれども、それはより良きもののための砥石の役割をしているのだということを
知らなければならないということです。

玉石混淆ということばがありますけれども、石のなかで王が光ってくるのです。

また、揉まれて揉まれて、生長してくるものがあるわけです。芋の皮を剥くように、
ゴシゴシとお互いに擦り合って、そして良くなっていくのです。

このように、魂の糧として、悲しみや苦しみというものが用意されているわけです。

しかしこれは、それが続くことが予定されていることではなくて、魂の糧としてのみ、
こうしたものを経過することが許されているのです。

そして、究極的には、喜びや楽しみの世界、あるいは、常楽の世界、常夏の世界、
こうした世界へと向かうようにとなっているわけです。

ですから、こうした苦悩というものは、魂の糧としてのみ存在が許されている、と。
このように考えるのが一番よいであろうと思います。




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category: 五次元霊界

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