永遠の法 -五次元の世界- 2 
2015/05/11 Mon. 23:55

---------------
2精神の目覚め
さて、その「善なる」というのは、単なる善悪の善ではなくて、
神の子としての性質の目覚めであるということを述べました。
そこで、これをもう少しかみ砕いて説明をしていくと、どういうことになるかと言うと、
結局、精神的なる目覚めということなわけです。
地上の生活においては、精神的なることと物質的なることというのが共存しておりました。
そして、人間は物質のなかに生きており、その日の糧を得、どうやって生活をするか、給料を稼ぎ、
また、物質の購入と使用、廃棄をするか、こうしたことを繰り返しております。
その大部分が物質中心の生活になっており、たとえば、その日の夜であるとか、土曜日、日曜日であるとか、
こういうときに精神的な喜びというのを得るのが人間として素晴らしい人なのだと言われています。
こうした精神的な喜びを感じないで、さまざまな、たとえば、快楽、ギャンブル、
こうしたものに現をぬかしている人も、もちろんおります。
しかし、たいていの人は、それだけでは魂が十分喜ばず、何らかの読書なり、また、音楽なり、
絵画なり、精神的なるものへと郷愁を感じているようです。
これが本来の世界への郷愁、ノスタルジーであるわけです。
この五次元世界は、狭義、狭い意昧での霊界と言われていますが、別名「善人界」、
あるいは、「精神界」とも言われています。つまり、精神的なものに目覚めた人たちが寄って来ているからです。
また、「霊界」とも称されるように、霊的な存在としての人間の自覚というのが、かなりはっきりと出てきているわけです。
四次元世界のことを幽界とも言いますけれども、この幽界のなかに住んでいる人でも、
まだ自分が霊だと十分自覚していない人、霊であるということかだいたいわかってきたような人と、いろいろです。
しかし、いずれにせよ、霊性の本質というのを完全につかんで、そして、自分が霊であるということ、
これを知って、霊の本質のなかに善なるものを求めようというところまでは、まだ至っていないのです。
ただ、この五次元霊界に来ると、人間の本質が霊であって、そして、何らかの善なるものを求めようとする、
そういう意気込みというのが、人びとの間に見い出されます。
ですから、ぼんやりとではあっても、神様ということに対する信仰というものを皆んなもっています。
神様、あるいは、仏様、こういう宗旨、すなわち、宗数的なバックグラウンドの違いによって、
もちろん考え方は違いますけれども、この五次元世界では、何らかの宗教心、
良き宗教心というものをもって人びとが生きているわけです。
ですから、この五次元霊界においても、人びとは地上にある職業の多くをまだもってはいるのですが、
日々において、神、あるいは、仏というものが身近に感じられる、それらのために生きている、
そういう生活をしています。
あの世の五次元霊界においても、まだ、地上的な仕事がさまざまにあるのです。
そして、現にそうした仕事をやっているのです。
たとえば、大工をしている人もいれば、また、物品を売っているような、そういう生活をしている人もいる。
まあ、これはお金がいるわけではないのですけれども、必要なものを与えるという仕事なわけです。
それ以外にも、いろんな利便を提供する、つまり、地上でいうサービス業に近いような仕事をやっている人たちもいます。
彼らは、そうした仕事が神仏に喜ばれるということに喜びを感じているということです。こういうことが言えます。
-五次元の世界- 1
-五次元の世界- 3
category: 五次元霊界
« 永遠の法 -五次元の世界- 3
永遠の法 -五次元の世界- 1 »
コメント
| h o m e |