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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

孔子の霊言  -調和とやすらぎの世界-  

孔子の霊言128-185



前回のお話では、私たちが死後、まず最初に足を踏み入れるであろう世界、
「四次元の世界」を紹介いたしました。
天国にはこの先に五次元の世界、六次元の世界というように、まだまだ先があるのであり
この四次元は初歩的な段階ではありますが、天国とはどのようなところかということを
垣間見れたのではないかと思います。

この天国とは、どのような世界かということについて、また一つお話しておかなくてはいけない事が
ありますので、今回はその書を紹介しようと思います。

天国とはいったいどのようなところか、それは、調和とやすらぎの世界である。
調和とやすらぎに満たされた世界である、そのように言えると思います。

今回紹介する孔子の霊言という書の中には、孔子だけでなく、さまざまな聖賢の霊言が収録されており、
その中に老子の霊訓という一節があります。
老子とは古代中国にて「無為自然の道」ということを説かれた方ですが、無為自然の道とはいったい何かを
解き明かされている中で、調和とやすらぎに満ちた天国の描写があるのです。

人間は神の子である、そのありのままの姿に気づくこと、私たちの魂は神によって創られた
すばらしい存在であることに気づくこと、神様から愛され、期待をこめて創られ、そしてその命を与えられた
その喜びに気づくこと、そのすばらしさにどうか気付いてください。
そうしたならば、幸せになるために多くのものは必要ないはずなのです。

多くのものを望まず、多くの欲を欲せず、神様から与えられた自分の人生を魂を味わいながら生きてゆく、
ゆったりと自然の懐の、神の懐の中に抱かれながら生きてゆく。
それが、老子の言っている「無為自然の道」だと思います。

そして、すばらしい命を、かけがえのない魂の光をきらめかせながら生きてゆく、
そしてそれは、自分だけではない、他のすべての人も同じ神の子なのです。

その神の子たちの個性の光を尊重しながら生きていく、神の愛がぎっしりとつめられて創られた存在なのだということを
共に認め合い、尊敬しあい、感謝しあって、尊重しあって、手を握り合って生きていく。
そこに大調和の世界が現われてくるのだと思います。

では、以下にその一節を紹介しようと思います。

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聞き手 老子先生がさきほど申されました、知識を積むのではなく、埋もれた宝塔を、その宝塔
   の被っている砂を払って宝の塔を生み出してくるのだ、というお説でありますが、
   そのこと自体は一つの比喩であろうと思いますが、その埋もれた砂を払うということは、
   具体的に言えばどういう心的作業がありましょうか。

老子 一つはあなた方、これもまた比喩になってしまいますけれども、冬の日にですね、
   非常に暖かい一日というのがあります。これを小春日和といいます。

   こういった日に丘の上において膝を組んで大きな空を眺めてみると白い雲がポッカリ浮かんで
   まるで春のような気持ちの日射しです。また犬や猫たちも非常にのどかな風景を楽しんで居ります。
   また様々な花が咲き乱れているかのような幻想にうたれることがあります。
   このようなすがたは、実は天上界そのものなのです。

   あなたは私達の世界が一体どのような世界かご存知でしょうか。
   私たちの世界というのは、鉄筋コンクリートのビルディングが建ち並び、電車が忙しそうに走り、
   車が走っている世界ではないのです。私達の世界は素朴な世界なのです。

   如来界、菩薩界といわれるような世界は、はっきりいって現代世界において田舎といわれる社会と同じなのです。
   むしろ下の霊層の方々の方が、そういった都会社会を持ち込んでいます。

   今は地獄にも鉄筋何階建のピルが建っております。
   地獄にもエレベーターがあります。地獄にも病院があります。様々なものがあります。工場があります。
   地獄でも鉄板工場なんかがあって、腕を切断されるようなことがあるのです。
   今の世の中には、ヘルメット被って工事しているうちに、上から鉄柱が落ちてくる。
   こういった地獄もあるのです。
   非常に現代的な地獄になっています、それはそこへ行った人達の意識、働いていた世界がそうだったからです。

   けれども時代がどのように変わろうとも、私達本来の天上界、神の世界においては相変わらず、
   千年前も一億年前も人びとは牧歌生活を送っているのです。
   そこには和やかな風景があります。
   草花が咲き乱れ、高い丘、なだらかな丘があり、そして美しい湖があり、人びとは愛を語り合ったり、
   親切を語り合ったり、神の子と讃えたりしています。
   こういった生活に還ってくるにはそれなりの心が要るのです。

   私たちの世界になじむためにはそういった近代的なことを知る必要はないのです。
   ですから私がいっているのは荒唐無稽なことではないのです。
   今のような時代ではあなたの言っているようなわけにはいかないとあなたは言います。
   けれども私達の現に在るこの天上界において上に進む程、高い世界ほどそういった素朴な社会なのです。
   それは事実なのです。

聞き手 まあそういうお説でございますが、たとえば、死と同時に大体自分が進むべき世界というのが
   定まるようでありますけれども、その場合に過去六十年なり七十年の、
   人生の間における持続してきた心の状態の決算によってそういう状態になるのか、
   或いは死の状態によってその行き先が決まってしまうのかということの疑問が多少あるのですが。

老子 もちろん死ぬ時の状態ではなくて、総決算、本決算でありますけれども、
   少なくともこの現代社会においても牧歌的な、のどかな風景の中で過ごすことができるような、
   心の中にそういった平安、静けさを持ったことのある人でなければ、
   私たちの世界に来ることはできないということです。

   たしかに現代という時代は非常に忙しい時代です。人々は秒刻みの生活をしているのです。
   分刻みの生活をしているのです。こういった中において独楽鼠のように人びとは動いているのです。
   本来の人間から今は二十日鼠に移ろうとしているのです。

   二十日鼠のように集団で動き回っていることを進歩したことだと思っているのです。
   そうではないのです。そんなことで進歩、進化にはならないのです。
   ですから立ち止まってものを考える習慣のない人間は天国に縁のない人間であります。

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いかがでしたでしょうか、よくよく味読していただきたいと思います。
そして、必ずやみなさまの日々の生活がすばらしいものとなっていくことを信じます。



category: 孔子の霊言

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