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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

永遠の法 -四次元の世界- 10  

永遠の法120-171



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進化への進

四次元、すなわち、この三次元地上世界を去って、
あの世に行ってからの生活のことについてさまざまに述べてまいりましたけれども、
多くの人が思うのは、では、なぜそういう世界になっているのだろうかということだと思います。

なぜ地獄があって、天国があるのだろうか。そして、なぜそうしたことがあるということを、
生きていたときに教えてもらえないのだろう。

なぜ肉体と霊というような、そういう二分的な生物が、あるいは、乗りものがあるのだろうか。

そんな霊になるためであるならば、この三次元で霊として生活して、
あの世でも霊でそのままいけばいいじやないか。と考える人が多いと思います。

肉体から霊への移行というのは、ちょうど蝉が皮を脱いで羽化登仙するのと同じです。

永い間、何年もの間、地下で眠っていた蝉の幼虫が、やがて木に登って、木の途中で止まって殼を脱いで、
羽根を出して、そして、大空を飛び廻る。ああしたものに、よく似ています。

また、青虫という上うな醜い虫が、葉っぱの上を這っていたのに、
いつの間にかこれが紋白蝶になったり、揚羽蝶になったりするのを見ます。

こうした青虫が蝶になる姿、青虫がサナギになり、やがて蝶になっていく姿というのは、
ちょうど人間の転生輪廻の姿を教えんがために、神が創られたものなのです。
そのように姿を変えながら、人間は進化しているのです。

では、なぜ青虫が蝶になるのか。これはひとつの不思議でありますが、
神が、そのように創られたということは事実であって、誰も否定できないのです。

何十本もの短い足を出して、体をくねらせながら葉っぱの上を歩き廻り、醜い顔をして葉を食んでいた者が、
いつかしら大空を羽根のまま飛び廻る姿というのは、ちょうど人間の霊的進化を暗示しているようにも思えます。

なぜそのように姿を創られたのか。結局のところ、神様の摂理がそこに慟いているということです。

蝶が蝶として最初から大空を飛び廻っていてもいいのだけれども、
彼らもまたそうしたはかない人生であるのだけれども、それ以前の段階で、不自由な、
そうした地の上を這うような生活をすることによって、大空を飛ぶということが、
どれほど素晴らしいかということを、その生きがいというものを、神は、私たちに教えて下さっているのです。

大空を飛ぶというような、大空を自由に飛ぶ紋白蝶の姿というのは、
私たち人間にも昧わえないような、素晴らしさがあります。

人間に生まれていながら、紋白蝶になりたいと思う人はいないでしょうが、
人間にはないような幸せが、紋白蝶のなかにはあるのかもしれません。

こうしたなかに、神の摂理というのがあるわけです。神はそうした幸せを与えておられるわけです。

同じように、この肉体という不自由なものに乗って生活している人間も、
やがてこれを脱ぎ捨てることによって、霊的なほんとうの姿というのが出てきます。

そのときに、人間は数倍、数十倍の自分の素晴らしさというのを感じていくのです。

地上においては、思ったことがなかなか実現しないということで、皆んなあせりを感じ、疲労を感じ、
無力感を感じるけれども、この地上を去ったあの世というのは、思ったことがすぐ実現する世界です。

こうしたこと、この素晴らしさというのに気づきます。
そして、これは、何十倍にも素晴らしいことだな、こんなことは今までなかったことだ、
かつてなかったことだ、ということを人間は感じます。

そうした素晴らしい霊的進化への道というものは、神が用意された、あの世とこの世の世界のしくみなのです。

こういう脱皮というものが、すなわち、次なるひとつの段階への昇華というものがなければ、
ほんとうの意味での幸せというものを感じ取ることができないからです。

霊的であるということは、神の本質と同じ本質をもっているということです。

神の本質と同じ本質をもっていることを、実体験として各人が味わうことができるのです。

これは素晴らしいことなのです。こうした素晴らしい世界のなかに、私たちは生きているのです。

そして、一時期に、天国、地獄という経験、地獄のなかで百年、二百年を苦しむ経験があったとしても、
これもまた、永い意味では、本人を進化に導くための砥石であるということです。
つまり、本人が一番欠点としているところを、徹底的に反省すべき環境におかれるわけです。

したがって、これも一概に悪というものではなくて、進化への途上にあるということです。
しかし、彼らが進化の途上にあるから、地獄もそのままで放置してよいのかと言えば、そういうわけではありません。

その間、苦しみは苦しみとしてあるわけであって、その苦しみから、いち早く本人が聞違いに気がつき、
正しい方向へ歩めるように指導していくということが、真の真理のあり方であり、
神の心にかなった方法でもあるということなのです。

他人の力によってそうした努力はされています。

ただ、他人の力がなくても、本人の自覚で、やがて気づいていけるように、地獄という存在があるのです。
少しは後退していくように見えても、結局、永い目において見れば、
すべてが進化への道を歩んでいるということなのです。この事実に、間違いはありません。



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10回にわたって四次元の世界について紹介をしてまいりました。
いかがでしたでしょうか。
私たちが死後、最初に足を踏み入れるであろう世界の神秘について理解していただければ幸いです。
折を見て、次回は、もう一段上の世界になります五次元霊界を紹介してみたいと思います。




-四次元の世界- 9

category: 四次元幽界

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