永遠の法 -四次元の世界- 6 
2014/11/14 Fri. 22:41

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霊の本質
この本節では、霊の本質とは何か、そういうことについて、さらに話を進めていきたいと思います。
肉体を去って間もない人間というものは、なかなか霊的な性質になじまないということはすでに述べたとおりです。
その感覚というのは、なかなか自分自身の感覚としては身についてこないものなのです。
たとえば、地上にいたときには、手を出せば物体をつかめたわけですが、
三次元の地上近くを徘徊している霊にとっては、手を伸ばしてもものをつかめない。
この現実は、とても信じられないとだれしもが思うのです。
しかし、やがては彼らも、自分自身が霊になったということを自覚するしないにかかわらず、
そのことを当然のことのように考えるようになっていきます。
そして、先ほど、天国、地獄への道というのが分かれるというような話をいたしましたけれども、まさしく、
やがては、自分の進路というものを決めていくわけです。
ここで、天国、地獄が分かれるときに、一番大切なのは、自分自身が一体何者であったかということを知るということです。
つまり、自分自身の本質を知るということです。
そして、これが、その人間の死後の世界、あの世の世界の生活を決めていくのです。
霊的世界を信じている人も信じていない人も、絵本であるとか、昔話であるとか、あるいは、小説とか、
物語のなかで、あの世の世界についてはさまざまに見聞きしているはずです。
ただ、それがどれほど真実をついたものであるかどうか、そのことに思いいたらないだけなのです。
どのような生き方をすれば天国へ行き、どのような生き方をすれば地獄に行くのか。
実際、この問題に関して、現代、あるいは、現在、明確に教えてくれるところはありません。
また、あの世の存在を信じている人であっても、自分の生き方というものを霊的な目で見たときに、
それが天国にふさわしい生き方なのか、地獄にふさわしい生き方であったのか、これがわからないのです。
一番簡単なものの考え方というのは、いわゆる戒律、これに照らして罪と罪でないものとを分け、
罪多きものは地獄に堕ち、罪のないものは天国に行くのだとしています。
この考え方は、比較的昔からはやっていた考えであり、何千年の人類の歴史のなかでも、
洋の東西を問わず、民族を問わず、こうした考え方というのがありました。
その有名なものとしては、モーゼの十戒のような、そうした戒律がありますし、
あるいは、モーゼ以前の世界でも、イスラムの世界のなかにおいては、「ハムラビ法典」のような、
そうした法典もありました。
現代には、法律というのがありますけれども、法律の淵源、そのもとは何かと言うと、結局、
こうした光の指導霊たちが説いた法であったわけです。
しかし、その法というのを人びとにわかりやすく説明することが不可能であるために、
戒律という形で、ときおりそれが教えられたのです。
つまり、これはしてもよいが、このことはしてはならない、と。
そうした戒律として与えられたことがあります。
したがって、大部分の人間にとっては、霊的な世界を知っている人間も、
そういう戒律に反した生き方を自分はしたか、しなかったか、これでもって、
天国、地獄というものを考えていきやすいと思います。
碓かに戒律のなかには、そのように容易にものごとの善悪を分けるという意味において、
わかりやすい面があると言えます。
その一番典型的なものは、「人を殺すなかれ」というような戒律でありましょう。
人を殺せば地獄に堕ち、人を殺さなければ天国に行ける。あるいは、「物を盗むなかれ」という戒律があります。
ものを盗めば地獄、ものを盗まなければ天国へ。まあ、こうした二分法的な考え方があります。
これも、一概には幼稚として決めつけることはできないのであって、
そうしたなかにも、碓かに真実が光っていると言えるのです。
しかし、ほんとうの天国、地獄を分けるものは何かと言うと、そうした戒律ではないのです。
結局、その人の六十年、七十年の人生を通して、神の子としての本質に気がついた人間は天国に行っており、
また、その本質を発揮すれば発揮するほど、高い天上界へ昇って行っているわけです。
その一方、神の子としての本質に気づかず、その芽を出さないままにこの世を去った人間は、
地獄界というところで厳しい試練を受けている、これがほんとうの姿なわけです。
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category: 四次元幽界
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