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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

卑弥呼の霊言 -紫式部の霊訓 あの世での生活様式- 10  

卑弥呼の霊言128-184


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“先祖供養”の是非とその正しい措置について

善川 わかりました。いま一つ、お伺いしたいのですが、まあ高次元においでる方は別としまして、
   霊界あたりに居る親類縁者にとっていわゆる“先祖供養”ということは有効、有意義なことでしょうか。

紫  すくなくとも地獄に居られない人にとっては、お墓参りとか言うことは特に意味があるわけではありません。
   供養するということは、意味があることではありません。

   ただ、先祖達、父母達も、やはり時折りは、自分達の子供のことは気に掛かるわけです。
   ですから、たまには懐い出して欲しいと念う気持はあるわけです。

   だからあなたにしてもそうでしょう。

   もしあなたがこの世を去って自分の世界に還られたとしても、
   ときたまは自分の子供のことは気になるでしょう。

   で、気になって、勿論あなたは見に来ることはできるのですけれども、
   子供達、お子様達にもあなたのことを、時々は想い出して欲しいという気持はあるでしょう。

   ですから人間として当然ですね。まあ盆、暮、には挨拶するようなもので、里帰りの時もありますし、
   その意味で神社仏閣にお詣りしたり、或いはお墓参りをしたり、
   お仏壇にお供え物をしたりすることは無意味とは言いません。

善川 まあしかし、それは生きている者の務めとして多くやっていることですけれども、
   果たしてこれがその人達にその念が届くのかどうかということが問題だと思いますが ー

紫  霊能を持っておられる人は勿論届きますが、それ以外の場合には、
   両者の念が一致した時には届くということです。

   たとえばそのためにお盆とかがあるわけなんです。
   お盆というものは、生きている者は死者のことを懐い出す、時々思っていますね、
   で、死者の方もですね、お盆になると自分達のことを供養してくれることを知っているわけです。

   ですから両者が念い合わせるとそこに意志が疎通するのです。そういうことなのです。
   ですからそういう盆暮れとか、特定の日というのは大切なのです。

善川 たとえばここに、三回忌とか、七回忌とか、十三回忌とかが仏教にはありますけれども、
   こういう何回忌とかに回向するということは霊にとって有効なことなのでしょうか -。

紫  まあ悪いことではありませんし、地上を去った方がそういうことを記憶に持っておられるのであれば、
   勿論有効です。ただ、死んですぐそんな日付など忘れておられる方にとっては意味のないことですね、

   向うの方も地上の者達がそういうことをやっているということを知っていて、
   地上の方々も、向うの方のことを想い出したいと思っている時には波長が一致して相互の気持は通じ合います。

   ただ先程、あなた方が“清少納言”さんを呼んで話が合いませんでしたね。彼女は生きていると思っている。
   こういった人にとっては、
   もう子孫がお仏壇にお供物をしたり回向をしたりするということは、もう無理ですね。

   死んだと思っていないのですから。死んだと思っていないということは、
   自分を供養している人は居ないと思っていることなのです。

   ということは“念い”が届かないということなのです。

善川 歴史上では、かなり有名な方であっても、
   死後においてはそういうような状態にあるような方も多いということですね。

紫  そうです。ただ地獄へ行かれる方が居ますね、
   そういった方にとってこんどは供養が有効かどうかという問題になります。

   これは功罪の両方の面があります -。

   功の面としては、死んでいることがまだ分っていない方々にとって、
   子孫のこと考える以外にないのですね、鎚るものとしては。だから
   子孫のことをいつも懐っているわけです。で、子孫が彼らを供養すると、そこで念が一致するわけです。

   そこで救いの梯が成立するわけです…。念が伝わっていくわけです。
   
   それで、子孫達が、本当に神の子としての調和された生活を送っておれば、
   その救いの念波によって、ご先祖達、その浮かばれないご先祖達も救われていくのです。

   - ところが、子孫達が形式上は供養はするけれども、心が神の子としての波長に合っていない場合、
   これはどうなるかです。これは悲惨なことになってくるのです。

   先祖達が憑依してくるというのは、ほとんどこういうケースなのです。

   先祖で苦しんでいる方達は何んとかして暗い穴から抜け出したいと思っています。
   そこに子孫達が供養をしたり、三回忌をしたりすると、
   これは暗い穴の上から梯子が下りてくるようなものなのです。

   そうすると梯子が下りて来たというので、もう懸命になってこの梯子を駈け登っているんですね。
   駈け登って行って引っ張っているんです。梯子をね、
   ところがこれが実は“憑依”という現象になっているんです。

   そして子孫達は、これに憑依かれたという形になって苦しんでいるんです。

   ところが地獄霊達は、分らないんですね、自分ら真暗なところに居て梯子が下りて来たもんだから、
   これ幸いに掴んだものを放さないと、一生懸命梯子を登っているんです。こういう状態なんです。

   ところが生きている者はたまりません。ぐいぐい、ぐいぐい下の方から引っ張られるもんですから、
   身体の具合は悪くはなるわ、事業は失敗し倒産するわ、そういったことが次ぎつぎ起きてくるわけです。

   ですから先程、供養というものも生きている人間が、
   あくまでも神の子としての調和された心を持っていてはじめて生きてくるのであって、
   生きている人間が、自分が神の子であるということも知らずに、唯物的に、
   物しか無いというような考えを持っていながら、そういった人びとの供養なんかすると、
   逆に大変なことになってくるわけです。





category: あの世での生活様式

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