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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

卑弥呼の霊言 -紫式部の霊訓 あの世での生活様式- 6  

卑弥呼の霊言128-184


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 “水子霊”と幼児死霊との区別

善川 それから一つお伺いしたいのですが、“水子供養”というのが今、
   巷間で流行っておりますが、これは必要なものでしょうか。

紫  これに関して私の意見を申しますと、まず、水子というか、地上に生まれる前に亡くなった、
   生命を失った方々が地獄に堕ちるというようなことはありません。

   なぜなら地獄に堕ちるかどうかということは、この地上に生まれて修行した時の、
   心の状態によって決まるからです。

   ですからこの地上、或いは私達から言えばあの世です。
   あの世の空気を一呼吸も吸い込んでいない方々は、地獄に堕ちることはないということです。

   ですからすべて天国に還って来ます。ただそういったことでね、挫折をした経験を得るわけです。
   すべての霊が挫折するわけです。しかしご両親達は気付いていません。

   自分達がそういうことをしたということの本当の意味には気付いていません。
   だけど挫折したことは確かです。そういう意味において、肉体的な傷は残らなくとも、心の傷は残るのです。

   ですから両親達が、自分達が悪いことをしたということを念じてくれることによって、
   その心の傷は癒えることはあります。地獄に堕ちることはありません。

   ですから私にしても、私が選んだ両親は、宗教的な心を持っていた方々ですから、
   経済的な理由によって堕胎ということをされたわけですけれど、私に対する後悔、
   お詫びの念というものをずい分送って来られました。
   それによって、心の傷は癒えるということはあるわけです。

   ですから“水子供養”というものは、必ずしも意味があるものではありませんが、
   しかし、この世に生まれて来ようと、あくまでも計画した霊達であることは確かです。

   彼らが出て来れないということは、やはり残念なことではあります。
   それに対する気持、思いやりというものはあってもいいのではないでしょうか。

善川 例えば、こういう例はどうでしょう。生後七日なり、
   十日なりこの世に生まれて来てこの世の空気を吸ったが、
   未熟児であったためにこの世の環境に堪えられずに死んだ様な幼児がおりますけれども、
   こういう幼児の霊というものはどうなんでしょう。

紫  すくなくとも、地獄に行くケースは非常に少ないと思います。
   やはり天上界に還ってくると思いますが、そういった霊達は、本当はたとえば、そういった子供で死んでも、
   私達の世界に還って来てもやはり赤ん坊です。赤ん坊で段々大きくなるわけですけれども、
   また魂の修行があるわけです。老人となって死ぬと、死んだ時に老人の意識で私達の世界に
   還ってくるわけですね、そうですね、一生のことを総決算して ー 
   ところが、子供時代で死ぬというような経験、
   何かのカルマの具合で子供時代で死ぬという経験を積む必要がある霊も居るんです。
   そういったことのために比較的早く死ぬという場合があるわけです。

   霊界の人口構成ということからしますと、死んで還る方がみんな年寄ばかりでも困るんです。
   少なくとも、霊界の下段階、幽界においては
   死んだ時の意識をそのままで持ってくる方が多いのですから年寄で死ぬと、
   もう年寄ばかりになってしまいます。

   ですから若くして死ぬ人、子供で死ぬ人、病気で死ぬ人も居ます。事故や怪我で死ぬ人もあります。
   けど、そういった方々も要るのです。私達の世界に帰って来て家族で住んだり、いろんな修行するんですが、
   そういう時に子供もいるんです。
   子供が居たり妻が居たり妹が居たりしてはじめて世界が成り立っているんです。
  (注) 同じ霊性位の場合では、このように霊界でも家族構成をとることも稀れにはある。

善川 たとえばね、過去世で独身で子育てもせずに他界した方が居るとする。
   そうした方は主としてそうした幼児達を発育するという義務があるのではないでしょうか。

紫  そのとおりです。義務があるわけではありませんが、
   自ら好んでそういったことをしている人があります。
   やはりその人、その人に適した修行の場というのが与えられているのです。

善川 一と通り人間としての義務はこの世であろうが、
   あの世であろうが果たさねばならないことになっているのですね。

紫  まあ義務というよりは、どちらかというと、自分を自分が学ぶための勉強課題なのですね、
   義務ではないのです。義務という考えは間違っています。
   ただ、そういうことを経験していないので、経験してみたいと思う人がするということです。
   しかし、興味もなにもない人も居るんです。それはそれでいいんです。





category: あの世での生活様式

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