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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

卑弥呼の霊言 -紫式部の霊訓 あの世での生活様式- 2  

卑弥呼の霊言128-184


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「源氏物語」を書いたのは竹の簀子、霊界では念で印刷製本

善川 いまあなた方は、先般もお聴きしたような毎日の生活を単に平板に送られているというのではなくて、
   たとえば、何か興味を持った方面のことの、ご研究とかをされておられますか。

紫  私がいま興味を持っているのは、人間の心の美しさ、人間関係、人と人との出合いの中で、
   どのような時が美しいか、また恋愛感情の美しさ、
   そういった人間が美しく見える時の感情は何かというようなこと、
   こんなことを、物の本にも書いてみたり、自分でも興味を持って観察したりしているんです。
   人間には美しくみえる時があるんです。どういう時が美しいでしょうか、
   それは相手を好きだと思う時です。そういったことを私は関心をもって今みております。

善川 現在何か書き物をされていますか。

紫  して居ります。勿論いろんな書き物をしております。

善川 そういうものは何か発表機関というものはあるのでしょうか。

紫  あります。私の住んでいる「邑」といいますか、ちょっとした町ですけれども、
   それは文学者の町というところで、ちょっとした郊外のような所なんですけれども、
   そこにはいろんな作家達、時代を超えてですね、まあ外国の方もいらっしやいます。
   そういった方々がいま一つの町を作っています。
   そこで書き物をしてはね、お互いにサークルを作っていますから、
   いろいろと私達でも会が分かれるのですけれども、趣味の合う者同士が集まっては、
   小説を書いたり、いろんなものを書いて、雑誌を作って回覧したり、いろいろしているわけです。

善川 印刷機というものはありませんか。

紫  印刷機はありませんが、印刷なさる方がいらっしやいます。
   その方は何といいますか、機械を使って印刷するわけではないですね。
   そういった「念」でもって印刷をするのが得意な方が居るわけです。
   ですから私は書き物をした。書き物といってもこれはあくまでも、
   肉の眼で分かるような形での表現ですけれども、勿給原稿用紙のようなものはあるわけです。
   それに書くわけですね、それで一冊の書物が出来ちゃう。そうすると、その印刷をされる人の所へ持って
   行って『これ書物にして下さい-。』と言うと『わかりました。』という形でその方は、
   自分の仕事部屋へ行かれるのです。仕事部屋で原稿用紙を積み上げられて、

   それを何て云うんですかね、念ずるわけですね、これを一冊の本にしたい、という感じで
   念を集中するわけです。

   何分ぐらいでしょうか、二、三分でしょうか、二、三分ぐらいその人が原稿用航を積んで、- 
   (これが書物になりますように)と、念ずると、なぜか机の左側には、出来上った書物が来ているという、
   こんな形なんですね。
   
   で、前にもお話したように思いますが、私達の世界は“念”で出来ている世界です。
   その念で出来ている世界ですけれども、やはり得意、不得意というものがあるのです。

   例えば、私は頭でものを考えて、物語とかそういうものを作るのが得意なんですね。
   ところが、そういった本を作ったりするのは、私には出来ません。
   そういった能力持っていないのです。
   ですからそういったことの得意な方が、またいらっしやるのですね。

   ですからそういった原稿用紙を「念でもって本に造り変える。そういった転換ですね、
   原稿用紙に書かれた文章、物語というものも、一つのこれは念の集積でありますけれども、
   これを、別の書物というもに置き換える。これは念の転換ですね、こういった方が居るんです。

   けれども、彼が出来るのは、その原稿用紙の束を書物に換える、こういった仕事だけなんです。
   彼はそこまでなんです。その出来上った書物を又、違う人の所へ持っていくわけです。
   又、専門家が居るんです。この方は、それを複製する専門家なんです。

   よろしいですか、その方はその、例えば自分の仕事部屋、片方には倉庫みたいなのがあるのですけれども、
   そこでその出来上った私の本ですね、例えば何でもいいですよ、
   『紫式部愛の生涯』という題をつけたとしましょう -紫式部愛の生涯- というので、
   私の出合った男性の中で、愛した男達の話を書いたとしましょう。
   この本が一冊、その男のところへ持って来られます。

   そうするとその男はまた一生懸命、これを、たとえばね、あなた方は書物を出されているそうですが、
   これを一万部造ろうと、まあそんなにグループの人口居ませんから、本当は百部ぐらいですけども、
   百部なら -百部造ろう- と、こう念ずるわけですね。
   そうすると右側の方に、机の右側にドドド、と、百冊の本の山が出来上っちゃうわけです。山がね、
   
   で、出来上った本をまとめてこれは又、出すわけですね、
   そうすると、またこれを配達する方がいらっしゃるわけです。
   またその配達する方は、配達専門で、私達の住んでいる町のこの本が欲しい人がリスト・アップされていて
   注文が来ているわけです。そこへ届けます。こういった役割分担になっているのです。

善川 なる程、そういう仕組みになっているのですか、いやいろいろ参考になりました。
   ところで今のお話に関連していることなのですが、それはあなたがご生前中に『源氏物語』を
   書かれましたが、この時にはあなたの原稿を、どのようにして印刷製本されたのでしょうか。

紫  これはねえ、必ずしも今のように紙に印刷していたのではないのです。
   当時は、竹を綴った書き物があるのです。竹をそいだものをこのように綴りましてね、
   これで一つの巻物のようなもの造るのです。
   こういったものを私達の時代には、別に大した仕事もありませんから、
   特に宮中というのは閑な - 閑といってはあれですが、時間がありましたから、
   たとえば私がそういうもので「物語」を書くわけです。
   そうすると、それを読んだ人が面白いと思う人がまた筆写するわけです。
   そういう形で筆写して愛蔵の書物というのを作るわけです。
   そして好きな人がまた、それを回覧したり、私も貸して上げましょうかという形で読んだりするわけです。

善川 はあ、竹のね、竹の“簀子”のようなもの編んだものに書いていたのですね、
   そうすると紙というものはなかったのでしょうか?

紫  そうです。そういうもので作っているのです。-紙ですか、紙はあります。
   ないとはいいませんが、それは高級なものであって、
   中々今のように原稿を書いたりするようなものではありませんでした。

善川 あゝそうですか、では書物というものはなかったのですね。

紫  巻物のような形はある意味ではあったわけですが ー。
   紙というものは非常に高級なものでしたので、ないわけではありませんけれども、
   そうした竹を綴り合わしたようなものに、『物語』はほとんど書いていたのです。





category: あの世での生活様式

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