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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

ニュートン霊示集 -私の見た世界- 7  

ニュートン霊示集128-189


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霊界における数の概念

もう一つ、私の見た世界で、言い落としてはならないことを申し添えておきたいと思います。

それが、何であるかというと、こちらの世界においては、数の単位というものは違っているということです。

地上では数の単位というものは、具体的に一個、二個といった分かれ方をしておりますが、
こちらの数の単位はそうではないということです。

地上では木が五本立っておれば、これは五つだというふうに考えますが、こちらの世界においては、
たとえば視覚的には木が五本立っていたとしても、
これらの木の意識が共通しておれば、木は一本である、という見方も可能な世界なのです。

このように意識の類似性によって個体差を見分ける、というのが私たちの計算のしかたなのです。

魂の兄弟という話があります。

地上の人から見れば、霊人たちは一人ひとりの個体ではなくて、
本体と五人の分身でつくられているという見方をすることもあるようです。

六人組で魂ができているとする見方もあるようですが、
これは私たちの世界から言ったら、まことに奇抜な理論です。

私たちはもともと一つなのです。もともと一つなのに、
地上の人間から見たら何人かに分かれているように見える、ということだけなのです。

まことに不思議です。

それはちょうど、花びらというものを見て、
花びらが十枚あるからこれは十個の花だと言われているのに、よく似ています。

私たちは花びらが何校あっても、一つの花として咲いているつもりでいるのに、
地上の人から見れば、花びらが十枚あるから十個の花だというふうに言うのです。

こうした感じに近いです。

ですから、本体分身理論というような考え方、何人かの魂のグループで霊人ができているという考え方は、
きわめて地上的な考え方であって、私たちにおいては一つなのです。

一つのものを地上の人たちが見ると何人かに見えるというだけのことです。

私たちは意識の同一性をもって数をかぞえますが、あなた方は意識の同一性ではなくて、
物体的、あるいは個体的な現われ方を見て数を数えます。

こうした数の数え方は、私たちの世界から見たらきわめて不思議に思えるのです。

どうか、こうした不思議な認識のギャップがあるということを勉強してください。

こうした勉強が実は霊界の真相を知っていくために、どうしても必要不可欠のこととなっていくのです。


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