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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

ニュートン霊示集 -私の見た世界- 3  

ニュートン霊示集128-189


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霊界科学 念の創造作用と精神価値の探究
 
さて、さらに私は次なる検討に入ってゆきたいと思います。

そこで、とりあえずここでは、私の見た科学者たちの死後の世界について、語っておきたいと思います。

霊界は広大無辺なので、すべての世界について説明し尽くすことは難しいのですが、
こちらの世界において、科学者たちがどういう生活をしているのか、
研究をしているのかということを知ることは、あなた方にとっても、たいへん参考になることでしょう。

こちらでの科学者は、地上の科学とは違って、霊界科学というものを研究していることになります。

地上で私が万有引力を発見したり、その他のさまざまな自然科学的法則を発見しました。

そして、その根本には、私は神が創られた世界であるから、
それなりの法則があるはずだ、という思想を持ち続けておりました。

ところが、地上を去った世界、実在界とも言われる私たちの世界に還ってくると、
この世界の仕組みを説く方法は、もっともっと高度になってきます。

私たちの住んでいる世界で起きてくる現象、これを単に経験的にのみ受け止めている人もいます。

すなわち、こういう場合はこういうことが起きるのだ、
こういう事件が起きたのはこういうことだからだ、

というふうに受け止めていく生き方、経験的に物事を
知っていこうとする生き方をしている霊人たちが多いのは事実です。

しかし、私たち科学者の魂というものは、単にそれだけでは満足することができないのです。

私たち科学者的魂は、さらに一歩進んで次なる探究に入っていきます。

この次なる探究とは何かというと、なぜこうした法則が霊界にはたらくのか、
ということを探究しているのです。

なぜ、なにゆえにこうなるのか。

たとえば私たちの世界では、念動、これは念力の力ですが、この念動のひじょうに強い霊人もおります。

こうした念動の強い霊人は、霊界の山を切り崩したり、あるいは霊界に大地震を起こしたり、
霊界の木をなぎ倒したり、こうしたことができるようになります。

それはまことに不思議な感じでありますが、念いというのが、
力学的な力を持って現われてくる瞬間であるのです。

念いが力学的力を持って現われてくる。
そして、さまざまな現象を起こすようになってくるのです。

また、念いによって、そうした破壊的運動をするだけでなく、念いによって創造をする、こういう力もあります。

この念いとはもちろん念という意味での念いです。

念とは、ある一点に力を、心の力を集中させて、何かを作用させよう、動かそうとする力のことを言います。

この念の創造作用こそが、実は霊界物理学におけるいちばん興味あふれる部分であろうと思います。

霊界において、私たちは、念いによってさまざまなものがつくれるのです。

これは、まことに不思議ですが、そのとおりなのです。

ただ、この念いの実力というのがあって、実力相応の世界をつくることができるようになります。

人によっては小さな物を出すぐらいの力しかない者もあれば、
念いによって家を建てることができる者もあるし、
さらに念いによって、もっと大きな環境づくりをする者もいます。

これが、実は私たちが真に神の子であるということの証明にほかならないのです。

地上の人間は神が念いによって世界をつくられたと言っても、その意味が十分にわからないでしょう。

ところが、私たちの世界においては、そのことは、しごくもっとも当然なことであるのです。

なぜならば、私たち自身が念うということによって、いろいろなものをつくり出すことができるからなのです。

それゆえに、神が念いによって世界を創り出したというのは、まことに当然であろうと思うのです。

それはすなおに信じられることなのです。

地上では何か物をつくるときには、材料を仕入れなければなりません。
材料を加工し、そして機械をつくり、部品をつくって物を組み立てていきます。

ところが、こちらではまったくそういう必要はないのです。
まあ、不思議と言うしかありません。

私は、さまざまな機械が必要となることがあり、それについて設計図を書く場合もありますが、
設計図を書かなくても、心のなかに明確にその像を描くと、その機械が目の前に現われるのです。

まことに不思議ですが現われてくるのです。
忽然と現われるというのが、その真相であります。

こうして、その機械を使っていろいろなことを研究するのです。

これはどういうことかと言うと、こちらの世界においては、手仕事、手作業というようなものを、
それほど重視していないのだと言ってよいでしょう。

こちらの世界において、真に探究され、味わわれるべきものは、心の価値、精神的価値であって、
そのほうに九割以上の力が注げる世界となっているのです。






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