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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

ニュートン霊示集 -私の見た世界- 2  

ニュートン霊示集128-189


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霊的世界の三つの特徴

さて、科学者の目で私は死後の世界について語ってみたいと申し上げました。

科学者として、申し上げる以上、私の分析はある程度、
だれが見てもそう思えるというものでなければならないと思います。

この私の見た死後の世界で、どうしても言っておかねばならないことが三つあります。

第一は、この死後の世界と言われるもの、霊界と言われるものは一様でないということです。
それはそれは、ひじょうに多様な世界がそこに広がっているということなのです。

地上でも平面的にいろいろな国家が広がっているように、霊的世界においては、
もっと空間的な、もっと時間を加えた意味において多様な世界が広がっています。

第二にぜひとも言っておかねばならないことは、こうした世界のあり方を決めているものは、
そこに住んでいる住人たちの心の総合集積の念である、ということです。

そこに住んでいる人たちの心に描かれた世界が出現しているということで、

そこに住んでいる人たちに似つかわしい世界であるのだ、ということなのです。

そこに住んでいる人たちに似つかわしい世界がここにある、現われている、そう思えるのです。

第三に言えることは、この霊的世界の違いを説明するものとして、神の光の度合いの違いがあるということです。
光の度合いが明らかに違っているのです。この光の度合いは、一概には説明がつかないものです。

地上のみなさんは、蛍光灯の光、月の光、太陽の光、こうした光を感じておられるでしょうが、
この霊的世界の光とは、少し感じの違った光であるのです。

それは、明るさや暖かさをともなうのは当然のことですが、これ以外のものが光のなかに入っているということです。

これ以外のものとは何か、それはまさしくこの霊的光、神の光によって養われているという感じが異常に強いのです。

人間は、地上生活をしているときに、光によって養われているという気持ちを持つことは稀でありましょう。

ところが、こちらの世界に来てみると、この光というものが
一つのエネルギー源であるということを、明確に感じ取るようになります。

自分がどれだけ神に愛されているかということは、この光の強さでわかるようになります。

強い光が当たる世界において、強い光の流れのなかで生きているということは、
幸福感を限りなくもたらすものなのです。

この強い光、これは結局こういう意味合いを持っているとも言えましょう。

光について、養われているという感じが地上にあっても、植物たちはそれを感じています。
緑色植物たちは、太陽の光を浴びなければ、生きていくことができません。

太陽の光を浴びて、そうして炭酸同化することによって、栄養分をつくりそして成長していくでしょう。
このときに、植物たちは光の恵みというものをずいぶん感じています。

彼らにとっての光とは、明るさとか、あるいは暖かさだけを意味するのではなくて、生活の糧そのものなのです。

彼ら自身が、光によって養われているのです。

動物や人間は、こうしたことを感じることなく、地上を去ることが多いのですが、
地上を去って、こちらの世界に来てみると、この植物の気持ちにも似たものを明確に感じるようになります。

光なくしては生きていけない、そういう気持ちが強くなってくるからなのです。

光というのは喜びです。光というのは力です。光というのは勇気です。
光というのは無限の糧です。そうした感謝の気持ちがじわじわと伝わってくるのです。

それは、当初より、あるいは太初の昔より必要不可欠のものとして在った、そういう存在であるのです。

以上で、死後の世界の特徴的な部分について述べました。






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