谷口雅春の大復活 -霊界見聞録- 6 
2022/11/24 Thu. 21:59

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菩薩の教え
菩薩について話をしているわけだけれども、菩薩の教えについて、さらに考えてみたいと思います。
菩薩になると教えの種類も大変広いです。
菩薩の七割強は宗教家だと言われておりますが、宗教家であるならば、
もちろんキリスト教系も仏教系も神道系もあれば、他のいろんな教えもあります。
なかには菩薩でも気の毒なことに、未開の人たちを指導するために降りていっている菩薩もいます。
そういう未開の人たちを指導するために降りていく菩薩は、どういうふうになるかと言うと、
たとえば酋長をやったり、あるいはシャーマンをやったりしながら、
人の本当の姿、神の子であるという事実を教えます。
これなどは、かなり難行苦行に属する修行だと思います。
そうした菩薩であるならば、かなり高い悟りをもともと持っているのだけれども、
あえて人喰い人種とは言わんが、そうした土人の中に混じって生まれていくことがあります。
そして霊能者のようなことをやったり、あるいは酋長をやったりして人々を導いたり、こういうこともあります。
このように菩薩というものは、かなり方便を使って実践活動をしているというのが、現状ではないかと思います。
また、宗教そのものを教えるというよりは、
医療活動の中に挺身している菩薩も数多くいることは事実です。
こういう菩薩もおります。
いろんな各方面に入り込んで、社会福祉の領域であるとか、医療の領域であるとか、
いろんなところで活躍しています。
また先生の中にも菩薩をやっている人もいますし、今、文壇あるいは論壇で活躍しているような、
そういう評論家先生の中にも菩薩と言われる方は何人かおります。
まあそうだね、評論家も何人か、確かに菩薩と言われている人もいる。
言論界をリードする、そういう方だね。
こういう方がいるということも知っておいてほしいと思います。
さあ政治家などでは菩薩が多いかどうかということだが、
まあ政治家などは現在ではやはり少ないと言わざるを得ないね。
もう少し政治の理念というものが技術的なるものから離れて、
天下国家のために本当に生きていった時に菩薩としての政治家が誕生するとは思うのだが、
いかんせん、どうもこの世的なかけひき、
集金、集票能力というものを問われている現代の政治家であっては難しいと言えようか。
もう少しその人の人生観を見て政治家を選べるようになってくれば、
菩薩が政治家として生きていくことも、かなりやさしいこととなってくるだろうと思う。
特に政治を浄化していくためには、菩薩たちが、
あるいは光の天使たちが政治の世界にも出ていけるような環境を作ってやる必要がある。
そういうふうに思います。
そのためにはやはり、本人の人生観というものが大きくクローズアップされる必要があると思うし、
信仰心というものも大きくクローズアップされる必要があると思う。
宗教に対して一億総アレルギーのような現代の日本のあり方は、正しいあり方とは言えない。
何がそうさせたのか。四十年前の敗戦がそうさせたのか。私は必ずしも言い切ることはできないけども、
ただ一億総懺悔、総アレルギーというのは悲しい事実であろうと思う。
やはり宗教に対してもかなりの寛容な精神を持つ、そういう人がいることが大事だと思います。
神、仏というのが戦争のためにいつも使われているというような、
そういう狭い発想であってはいけないのではないか。
また神風が吹くというような戦前の行為を、そのまま現代に持ってくる必要もないであろう。
私はそういうふうに思います。
以上、いろいろと話をしたけれども、菩薩の教えとは何かと言えば、
結局一言で言えば、それぞれの専門分野でもって愛の具体化をしている、これが菩薩であろうと思う。
そして、菩薩の教えの中には形がない。具体的なる形はないということが言えると思う。
実践活動の中、教えの中、あるいはいろんなものを解釈したり、
伝えたりしている中に菩薩行があるということだ。
これに関して如来の法というのは、やや抽象性があることは事実だと思う。
根本法に近くなってくる。そして抽象的なることも多くなってくるだろうと思う。
まあ私の法で言うならば、「本来、肉体なし」とか「本来、病なし」、あるいは「生命の実相」、
こうした悟りがだいたい如来の悟り、如来の教えであろうと思う。
それ以外に私はいろんな教え方をしましたが、「神の子としての教育法」であるとか、
あるいは「家庭の平和」であるとか、まあいろんなことを教えましたが、
こうしたことが菩薩の法にあたるわけです。
したがって、如来の法の中には如来の法と菩薩の法を含んでおりますが、
菩薩の法ではなかなかそこまではいかない。そういうことだ。
したがって、菩薩の教えとして実践を重視したというのでは、
一燈園の西田天香などがその典型だろう。
箒をもって京都じゅうを掃いて回って、そして無一物中無尽蔵の生活をしていった。
こうしたことが言えるであろう。
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