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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

心の探求 -心の段階- 7  

心の探求128-184



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心の段階はその人の心を一日中占領しているもので決まる

結局、心の段階というものは、一日中その人の心のなかを占領しているものが何かによって決まるのです。

たとえば、上段階の光の指導霊の世界、愛や慈悲にあふれた、如来や菩薩の世界に住む人たちというのは
結局一日中どうしたら世の人びとを幸福にできるかということを中心に考えているわけです。

こういう人と、たとえば一日中あの人が憎い、うらやましい、くやしい、
こういう怒りの波動ばかりで心をいっぱいにしている人と、その段階が違うことは明らかです。

ただ心というのは、肉体を持っている人間では見透かすということができないから、
互いにわからないでいるだけです。

自由にまかされているのです。自由であるから、また恐いわけです。

同じように、肉体に入っている心は、万人が持っているけれども、お互いにわからないで生活している。
朝起きて朝ごはんを食べて、そして晩ごはんを食べて、夜眠ると、こういう循環はみな同じです。
だから同じ人間だとみな思っているけれど、心の段階には差がある。

また、地獄という世界があるといわれるけれども、地獄に行くか、行かないかということは、
死んでみなくても、もうわかっているのです。

自分の一日の間、心を占めている問題が何かを考えればよい。

その問題というのが、自分だけが都合よくて、他人が悪くなるような事ばかりを考えている人は、
もう生きながらにして心は地獄に行っているということです。

魂は地獄の住人になっているということなのです。

くやしい想いばかりで一日を生きている人。妬みの想いだけで一日を生きている人。
あるいは、怒りの炎で焼かれながら生きている人。これは生きながら地獄です。

生きている間にこれを解決し、清算しないかぎり、死んで赴くところも同じところです。

妬んでいる人は妬んでばかりいる人のいるところへ行くのです。
怒っている人は、怒りばかり持っている人のところへ行ってお互いが怒るわけです。
愚痴る人は愚痴ばかりの人のところへ行って愚痴ります。

もうはっきりしているわけです。

ところが、心のなかで美なら美、美しいものを求めている人がいます。
芸術家なら芸術家です。

美ばかりを求めて心のなかで美しいものは何だろうかといつも考えている人というのは、
また死んであの世へ行っても、そうした人たちのいる世界へ行くことになります。

また心美しい音楽家もいます。道を歩き、仕事をしながらも、あるいは本を読みながらも、
心のなかはいつもメロディーを想い浮かべている。新しいメロディーを探している。

こうした人たちは、死んであの世に行っても、そうしたメロディーのある、美しい音楽家の世界に行くでしょう。

また、生きている時にどうやって人を救えるかばかりを考えている人たちは、
死んであの世に行っても、そういう人だけの世界、如来や菩薩の世界へとやがて行くでしょう。

私はそう思います。

ですから、結局は、その人の心のなかなのです。





category: 心の段階

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