心の探求 -心の段階- 6 
2022/09/26 Mon. 23:50

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人間の悩みと心の管理
さて、いま、科学的な鋭明として心の段階について話をしましたけれども、
これをもうちょっと思想的段階として、追究していきたいと思います。
まず、生きている人間は、一日のうちでさまざまな想いというのを持っています。
これはどのような人であっても、肉体を持っている以上、
一日のうち立派なことばかりを考えているわけでもなく、悪いことばかりを考えているわけでもありません。
朝起きてから夜寝るまで、夜眠っても、夢のなかでさまざまなことを思っておりますけれども、
善いことも思うし、悪いことも思っています。
完全に天国で草を食んでいる羊のような姿ではいられないのです。
いろいろなことがある。いろいろな人との出会いがあり、いろいろな仕事があり、いろいろな雑用がある。
こうしているうちに、人間は心の針が動きます。
女性であれば、せっかく瞑想していたと思っても、
素敵な男性から電話の一本も入れば、もうそれで心の針が揺れ動く。
男性にしてもそうです。今日は会社へ行って真面目に一生懸命自分の将来をかけた仕事、
その結論を出そうと思って、電車に乗り込んでも、電車の座席の前に美しい女性が座っていると、
それでもう心が宙に飛んで行くわけですね。こういう事があります。
仕事をしていても、これが世の中の役に立つと思いつつも、しかし、
それにしても空しさというものがつきまとってくる。
どうしても空しさがつきまとつてくる。これが自分の本来の仕事だと思えない。
こういうことで、心のなかが悶々としてきます。
人間の心のなかには、常に悩みというものがあるのです。地上に四十億、五十億の人間がおりますが、
このなかで悩みのない人間がいるかどうか。これを個別に聞いたら、おそらく、ほとんどいないはずです。
悩みのない人間がいるとすれば、考えることのできない人間でしょう。
そういう人間もなかにはいるでしょう。
何も考えない人間というのはいるから、その人には悩みがないといえるかもしれませんが、
考えるということができる人間にとっては、悩みがない世界というのは、ありえないということになってしまいます。
人間というものは、気がついてみれば、何かを思っている。その思っていることが、
たいていは悩みになっているはずです。
その悩みというのは、自分の過去に対する思いであったり、あんな事をしてしまった、
こんな事をしてしまった、という思いであったり、あるいは、
現在どうすべきか、こうすべきかという現在の選択の悩みであったり、
あるいは将来に起きることが善いことだろうか、悪いことだろうか、悪いことが来るのではないかと思ったり、
善いことが来そうだけれども、その善いことというのが、本当に実現するかどうか、これも悩みになります。
そして、未来の事を悩んでいるけれども、それが現実になったら現実になったで、それもまた悩みになります。
現実がすぎ去って過去のものになったとしても、ああすればよかったと思う。
いつまでたっても悩みというのが心を去らないわけです。
これは、心の管理のしかたというのを教わっていないからです。
そういうことをあなたは悩んでいますねと、他の人からいわれないと、それがわからないからです。
常に悩んでいるけど、それが、いわれないとわからない。
主婦であっても、自分の子どもが病気であれば、買いものをしても、食事をつくつても、
編物をしていても、洗濯をしていても、一日中、子どもの事ばかりを考えている。
これは、他人から指摘されないとわからないのです。
人間の心は、何を描くかということが自由であるにもかかわらず、
いつも心のなかを占領しているものがある。
それが丸一日、心を占領していますよ、ということを他人様からいわれないかぎりわからない。
こういう事実があります。
category: 心の段階
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