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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

永遠の法 -四次元の世界- 1  

永遠の法120-171


私がここにて、みなさまにお伝えしていること、それは、
私たち人間の本来のすがたは、肉体ではなく、そこに宿っている魂、心こそが本来のすがたであり、
死して肉体はなくなっても、魂はなくなることはない、実在界、つまりあの世の世界にて、
永遠の生命をもって生きつづけているのだ、ということです。

今回お伝えしたいのは、そのことからもう少し踏み込んで、
では、あの世の世界とは、いったい、いかなる世界なのか、

いったい、どのような人が住んでおり、どのような生活をしているのか、
この世にて、どのような生き方をすれば、どのような人生を送ったならば、そうした世界に還っていけるのか。
そうしたことを、お伝えしようと思います。

もちろん、肉体を持ってこの世の世界に生きていれば、目に見えないあの世のあり方そのものを、
あたかも、映像に写し出したように説明をすることはできません。

しかし、あの世の世界の神秘を、出来るだけ理論的に、かつ現実感を踏まえて説明できる
そのような書が、もし存在していれば、その書を紹介することにより、
みなさまに、あの世の世界のいかなるかを、理解していただけるのではないかと思います。

今回紹介させていただく書は、永遠の法、という書でありますが、
この書によりますれば、あの世の世界というものは、大きく分けて、六つの階層に分かれているようです。

それは、四次元幽界、五次元霊界、六次元神界、七次元菩薩界、八次元如来界、九次元宇宙界、
というふうに命名されています。

一番人口の多い世界は、四次元幽界というところであり、上段階に進むにつれて人口は少なくなっていき、
九次元宇宙界にいたっては、十人しかいないということです。

それでは、まず、私たちがこの世を去って、まず最初に足を踏み入れるであろう世界、
「四次元の世界」について、ご紹介していこうと思います。

本日より数日をかけての説明となると思いますが、どうかすべて読んでいただき、
あの世の世界についての理解を深めていただきたいと思います。

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あの世とこの世

人間にとっては、自分が何処から未て、何処へ去って行くのか、これは重大問題であり、
常に心の底から、このことが離れることはないでしょう。

しかし、人間が何処から来て、何処へ去って行くのかということに、
未だかつて明快に答えきったことがある人は、数少ないであろうと思われます。

すなわち、この問題は、あの世とこの世の関係というものを解明せずしては、答えが出ないものだからです。

しかも、残念ながら、現在、地上にある学問のレベルにおいては、あの世とこの世について
明快に説明をするだけの学問的蓄積も、方法論の確立もありません。

しかし、微かながらもあの世とこの世を解明する手立てとして、
時代時代に現われる霊能者の活躍というものがあります。

といっても、霊能者のなかにもさまざまな方がおり、もちろん、そのなかには、
ほんとうに信頼できるような方もいらっしやいますが、
たいていの場合においては、人格的に未熟な方、人格的におかしい方であり、こういう方が数多くおられるため、
世の人びとは、そのことばを一様に信ずることができないのです。

ですから、霊能者と言われる方が、何とかの霊が見えたとか、あるいは、
あなたは一年後にこういうことになるとか言ったとしても、それを実証するものが何もない。

そのため、不安感が残り、それを信じることができないのです。そういうことだと思います。

すなわち、あの世とこの世を解明するにあたって、その不確かさというのは、実を言えば、
そのことを追体験ができないというところにその原因があるわけです。

もし誰もが同じような体験を重ねることができるならば、すべての人が、
あの世とこの世があることを認めるでしょうけれども、実際には、
特殊な人にしか追体験を許さないことになっています。

それゆえ、普通の人にはそれがわからない。そこで、世の常識ある人びとは、あの世の存在、そして、
あの世との関わりにおける、この世というものを認めたがらないわけです。

人間は、自分の人生観、人生の目的というものを、常々考える存在ではありますけれども、
自分が大宇宙のなかにおいて、どのような存在であるのかということを明確につかむまでは、
確固とした人生観、確固とした人生の目的というのは、真に確立し得ないのです。つまり、一大問題であるからです。

もし唯物論者の言うがごとく、母親のお腹のなかからいきなり生命が発生して、そして、六十年、七十年生き、
やがて焼き場で焼かれてしまったら、それで終リになってしまう人生であるならば、もしこうしたものであるならば、
それなりの考えをもって生きていかねばならないでしょう。

けれども、宗教家たちが言うように、実在界という世界があって、あの世からこの世に生まれ変って来て、
赤ん坊に生まれて何十年かの人生を生き、その後、この地上を卒業して、あの世の実在界において、
さらなる魂の向上を目指しているのならば、また、考え方が違うということです。

これは大きな目で見れば、人生というものを、たとえば、小学校だけと見るか、小学校、中学校の義務教育と見るか、
あるいは、大学まで卒業して一人前と見るか、こういういくつかの見方があると思うのです。

唯物論の考え方というのは、人生というものをいわば小学校のなかに閉じ込めているわけですね。
小学校の六年生が終れば、もう義務教育は終ったというような考え方でもありましょう。

しかし、霊界という世界があり、人間が永遠の生命として転生輪廻しているという考えは、
小学校を出ても中学校があり、高校があり、大学があり、大学院があり、そして、
社会に出てもさまざまな学びがあるという、連綿と続く学習の場としての人生というものを考えるということになります。

こうした二つの定点を置いてものを見た場合、どちらが人間の進化、あるいは、向上に役立つかと言えば、
その結論はあきらかであろうと思います。

すなわち、永遠の進化を目指すという観点に立ったとき、人間というものははるかに向上していくものだということです。
一回かぎりで、わずかな期間だけしか生きていないものだとするならば、
そうした線香花火のような存在だとするならば、人生には、やはり重大な意義も、目的も、見い出せないのではないでしょうか。

そして、もしそうであるならば、その短い期間の間を線香花火のように燃えつきるため、さまざまな快楽に耽り、
物質欲に耽り、放恣な生活をしてしまうのではないでしょうか。また、人間は、
誰もが個人主義に陥っていくのではないでしょうか、

わずか数十年の人生であるならば、
自分が楽しまなければ損だという考えになってしまっても、おかしくはないかもしれません。

しかし、永遠の人生であればこそ、人のために奉仕したことが、やがては、自分自身の魂の糧となって
必ず戻ってくると考えられるのではないでしょうか。

ですから、人生観、あるいは、人生の目的と使命というのを考える際に、
あの世とこの世という視点を理解しておくことは、非常に大切なことです。
これを外しては、ほんとうの意昧での人生というものを、また、人間というものを知ることはできないと思います。




-四次元の世界- 2

category: 四次元幽界

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