心の探求 -心の構造- 8 
2022/06/21 Tue. 23:36

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竹の子の皮のたとえ
したがって、これを考えると、人間の心の構造というのが、逆によくわかるわけですね。
心というのはこういうふうに、竹の子のように何重にもでき上がっているということなのです。
ですから、竹の子のいちばん外の皮、荒々しい皮があるでしょう。
雨露から竹の子の中身を守って、そして土からも守っている、ごわごわした竹の子の皮があります。
昔風にいえば、日の丸弁当を包んだりする皮ですけれども、この皮が肉体です。
三次元の人間は、これにくるまって生活しているわけです。
ところが、四次元にいくと、この皮が一枚クルツと剥けます。
すなわちこれが、肉体の死です。そうすると、その内側の皮が出てきますね。
この姿で四次元では生括しているのです。
五次元へ上がっていくと、もう一回クルツと剥けます。
六次元へ行ったらさらに皮が剥けていきますね。そして段々芯が出てくるわけです。
結局、人間の心の構造というのを見ると、竹の子のようになっているのです。
したがって、すべての人間が、心の構造として、何重かの構造になっているわけです。
竹の子の構造のように。
同心円の話というのがありますけれども、同じ定点を定めて、同心円を何重にも描いていく。
こういうふうに心はできているのです。
いちばん外側の層が肉体であって、その内側が幽体。そして霊体。
こういうふうになっているわけですね。
ですから、すべての人間が神の子であり、本来神の子であり、平等であるというのは、
実は心のなかにおいて、こうした構造を持っているというわけです。
そういうふうに心の構造は、三次元の肉体の内側に四次元層、五次元層、六次元層、
七次元層、八次元層、九次元層、こう持っていて、その中核の部分、つまり、芯の部分が十次元、
ここにつながっているのです。こういうふうな何層もの構造になっているのです。
したがって、地上に降りている光の指導霊というのは、どういう方かというと、
光の指導霊で悟った方というのは、たとえば竹の子でいうと、皮が三枚剥けた部分が出ている人。
あるいは竹の子のいちばんいい芯の部分が出ている人。こういうふうになっている人のことですね。
このように、食べごろの竹の子が出ていれば、山の中を歩いていても、人間はひじょうに便利なわけです。
そこに食べごろの竹の子があるから、それをポキッと折って竹の子の刺身を作って食べることもできるわけです。
ところが、皮を被っているから、普通は食べられない。
こういうふうな違いがあるわけで、本来同じ竹の子なんだけれども、
もうすでに皮が剥けている人がいるということですね。
これがこの世的な垢や塵を落として悟った人ということです。一皮剥けているわけです。
肉体という包みを取り去って、霊的に目覚めた人ですね。
本来、土のなかで竹の子が芽を作っている時には、本当は軟らかい竹の子なんだけれども、
地上に出てくる時には、ああいうふうな皮を巻いて出てくるわけです。
自分を守るために、同じように地上に人間が生まれてくる時に、本来の心の構造だけでは柔だから、
それを守るための外壁として、肉体というのをつけて出てくるわけです。
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