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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

大天使ミカエルの降臨3 -地獄の将来- 3  

大天使ミカエルの降臨3 128-187



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老荘思想の現代的意義

さて、ここで私は視点を変えて、一つの事実を訴えてみたいと思います。
それが何であるかといえば、老荘的思想の現代的意義なのです。

老荘の思想の一番特徴的なことは

「ひっかかりを作らない、執着を作らない、こだわりを持たない」

ということです。

この老荘的思想というのは、ある意味で地獄の世界の対極をなしている部分もあるのです。

天上界の主流においても向上心をもって精進しておりますが、
この向上心の目標が違った時に、地獄の中での活躍となることもあります。

みずからの勢力を増強せんとして動く時に、そのような自己実現をする時に、そこに地獄が拡張されます。
しかし老荘的思想は地獄にはありません。

地獄には、そうした無為自然の考え方、また心を調和し、とらわれないという考え方、そうしたものがないのです。
私はそう思います。

ですから現代人はときおりふり返って、みずからの立場をもう一度考え直してみる必要があると思うのです。

さて、あなた方はそれだけあくせくとしているが、何のためにあくせくしているのか。
あくせくしてどうなったか。その結果どれだけ幸せが増えたか。
こうしたことを考えてみる必要があると思います。

ときどき自分の時間を止めてしまうことです。

時間の流れを止めて、そしてそのなかで、
陽だまりのなか、川のよどみのなかに舟を浮かべて、
大自然のなかの自分というものを見つめ直してみることだと思います。

ここで私が言いたいのはいったい何であるかというと、世紀末の混乱を起こしている理由の一つは、
各人の「私が私が」「俺が俺が」という野望、野心なのです。

これが結局、世紀末の混乱を起こしているのです。

信じられないことに、夫と妻とがそれぞれ別々に自らの理想を追求し、夫婦の関係が崩れ、
親子であっても他人のごとく、まったく別々に生きることになったり、

また家族の道徳が失われ、婦人のモラルが失われ、そうなってきた理由はいったい何であるかというと、
みずからの理想実現という名の餌でもって人びとの心が惑わされたという、そうした結果ではないでしょうか。

人びとは大いなる徳を見失っているのではないでしょうか。

大いなる価値を見失っているのではないでしょうか。
私はそう思うのです。

見せかけだけの幸福や、見せかけだけの値打ちを追うのは、もう止めねばならない時が来ているのです。

地獄霊たちの生き方を見ていると、虚栄に充ち満ちています。
虚栄心に充ち満ちているのです。

彼らはほんとうに、自己拡張欲、自己顕示欲に燃えているのです。

なぜ自己拡張欲、自己顕示欲が悪いのかと言えば、これはどういうことかと言うと、
他人に自己のよさを見せつけて、そして楽しんでいる、それを喜んでいる、そういう生き方であるからです。

すなわちここには、個々の人間がバラバラに切り離され、そして得手勝手に生きている姿があるのです。

この個々の人間がバラバラに得手勝手に生きている姿のことを、地獄と言うのです。

ゆえに、たとえば考えてもみてください。自己顕示欲に燃え、自己拡張欲に燃えている人に、
いったいどれだけ多くの人への愛があるかということを。

いったいどれだけ多くの人びとへの優しさがあるかということを考えていただきたい。

真の宗教とは、優しさの中に生きることではないのか。愛の中に生きることではないのか。

こうしたことをつねづね考えておかねばならないと思います。




category: 地獄の将来

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