ピカソ霊示集 
2014/07/27 Sun. 22:20

みなさんは、芸術というものについて、どのような考えを持っておられるでしょうか。
見る人を魅了してやまない名画の数々、聞く人びとの心をいやし、幸福な境地に誘う幾多の名曲
さまざまな人びとの人生模様を描き出し、読む人々の心に感動を呼び起こす、すばらしい文学、小説の数々
芸術というものに、まったく興味のない人であっても、
こうした歴史に残る、すばらしい芸術作品を、どこかで目にし、聞いたことはあるはずです。
こうした作品は、なぜ私たちに感動を与えてくれるのでしょう、
なぜ、私たちの心に調和とやすらぎの光を与えてくれるのでしょう、
そして、ある時は私たちの苦悩をいやし、明日への希望を与えてくれるのでしょうか。
絵という作品をとってみれば、それはただ単に、特定の色の絵の具を白いキャンバスの上に、
ある配置をもって塗られているだけのことであります。
単的に言ってしまえば、ただそれだけの事であるにもかかわらず、
ある特定の人が、その絵というものを描けば、歴史に残るような、
時代を越えて多くの人びとに感動を与えるような名画となるにもかかわらず、
まったく別の人が描けば、何の感動も呼び起こさない、ただの絵となってしまう、
それは、いったいどうしてなのでしょうか。
天才というものについて、この書の中に非常に興味深い記述があります。
天才とは、いったい、いかなるものであるのか、それの説明があるのです。
--
「あなた方はたとえばこのようなかたちで、霊言を受けるものだけが霊能者だと思っておられるかも知れませんが、
芸術家や美術家は、あるいは天才と言われる方々は、ほとんどが霊能者なのです。
彼らが自覚しているかどうかは知りません。このようなかたちで降霊するわけではありませんが、
ほとんどの方々、美術家、芸術家の優れた方たちは、程度の差こそあれ、やはり霊能者たちなのです。
霊能者というのは、天上界に在るアイディアをインスピレーションとして受けることができるということ。
また、もちろんインスピレーションというのは、天上界から、頭、
あるいはハートに直接キャッチするものですけれども、それ以外にも、この眼がありますが、
あなた方が観ているものと私たちが観ているものとは、同じものかどうかはわからない。
むしろ、私たち芸術家の眼は、「美」という一つの概念のもとにおける霊眼、霊的な眼であるということです。
あなた方が何気なく観過ごしてしまうもののなかに、「躍動する美」を見ることができるということなのです。」
--
色とりどりのさまざまな草花が咲きみだれ、この世界すべてに広がるかに見える緑の大草原、
命の水を満々とたたえ多くの生命を育む大海、そして太陽の光をあびて水平線の彼方にまで広がるマリンブルーの輝き、
こうした世界の中に、躍動する野生動物たちの鼓動、さえずり、息づかい、
私たちに、勇気と希望を与えるべく、昇り来る朝日の雄大さ、
私たちの一日をねぎらうかのように暮れ行く、たそがれの夕日、
こうした世界の中で、いとなまれる私たちの人生模様、喜びあり、悲しみあり、笑いあり、涙あり、
この世界は、すべて美しい、ありとあらゆる世界、そのすみずみにいたるまで、すべて神の思いで満たされている、
神の愛の念いで満たされているのです。
この世界はすべて、神の念い、愛の念い、そう、美の表現に他ならないのです。
神の心を伝えるものは、宗教家だけとは限らないのです。
宗教を興し、神の心を説く、ということも一つの大きな光であります、
しかし、芸術ということでもって、神の心を伝えていく、
美という表現でもって、神の世界のすばらしさを伝えてゆくということも、一つのおおいなる光ではないでしょうか。
そして、そうした使命をもって、神の心を伝えている方々もいるのだ、という事も知っておいてほしいと思います。
category: ピカソ霊示集
« 神霊界入門 -生まれ変わりの池- 1
高橋信次の新復活 -人間は神の子である- »
コメント
| h o m e |