黄金の法 -反省の基準(釈迦の教え)- 
2021/08/20 Fri. 21:42

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三番目の柱は、八正道。これは、人間完成の道であり、修行者の努力精進の目安となるものです。
人間は、赤ん坊としてこの世に生まれると、実在界のことをすっかり忘れてしまいます。
すなわち、わずか一〇パーセントの表面意識だけを頼りに生きてゆくのであり、
残りの九〇パーセントは、潜在意識となって隠れてしまうのです。
しかし、インスピレーショソという形でのみ、実在界に残してきた自分の本来の意識を、
わずかに感じ取ることが可能だと言えます。
この潜在意識と、表面意識を分離しているものが、想念帯のなかの曇りです。
ですから、この曇りを取り除かない限り、本来の自己、すなわち、
一〇〇パーセントの自己を取り戻すことはできません。
心のなかの想念帯の曇りとは、生まれてからこのかたに至るまでのゆがんだ環境、教育、思想、信条、習慣、
あるいは不調和な想い、良心に照らして恥ずべき行為などによって、形づくられます。
ということは、自分が生まれてから今までに生きてきた歩みを振り返り、不調和を心のなかにつくった原因を追究し、
そうしたものをひとつひとつ反省することが大切だと言えます。
そして、その反省の基準が、この八正道、正しい八つの道なのです。
まず、自分はものごとや縁あって出会った人びとを正しく見てきただろうか。
次に、正しい言葉を話しただろうか。人の苦しみの原因のほとんどは、
無造作に他人から投げかけられた言葉や自分の発した悪しき言葉にあるのです。
しかし、正しく言葉を使うということを、自分はしてきただろうか。
さらには、正しく思うということ、これが大切です。思いは、悍馬のごとく荒々しく乱れ、
いっときとして、清浄であったことはなかったのではないか。
自分の心を透明なガラス箱だとすると、人に見られたら恥ずかしいような思いでいっぱいではなかったか。
また、正しい生活ということに関して言えば、どうでしょう。
自分は、この世を人生修行の場だと考えて、一日一生のつもりで正しく生きているだろうか。
神理を心の糧として、調和された生活をしているだろうか。
あるいは、自分は正しく仕事に励んでいるか。職業は、神から与えられた感謝行であり、使命なのです。
しかし、その使命をまっとうしているでしょうか。
あるいはまた、自分は、正しく道に精進しているか。神仏の子として迷っていないか。
常に神理の勉強を怠らず、自分を磨いてきたでしょうか。
そして、正念だ。正しい人生計画を描いてきたか。正しく神仏に祈ったか。
神仏の前で恥じないような正しい自己実現を考えているでしょうか。
最後は、正定です。
自分は、精神統一の機会を持っているか。
精神統一のはんとうの意味は、無念無想になることではなく、実在界から神の光の供給を受けることであり、
自分の守護・指導霊から導きを受けることなのです。
そして、これは、修行者として、欠くことのできない勉強の方法なのです。
こうした八正道を規準に、人間は、過去を反省し、未来を築いてゆくべきだというのが、三番目の柱です。
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