高橋信次の新復活 
2014/06/08 Sun. 21:55

高橋信次という方は、1927年に現代の日本は長野県に生を受け、
1968年頃から1976年にかけて、心の教え、正法を説かれた方です。
その正法を説かれた方が、霊言という形をとって、現代に復活したというのがこの書籍です。
復活した高橋信次という方は、私たちにいったい、どのようなことを伝えようとされているのでしょうか。
それは、以下のことであるように思われるのです。
私たちの本来の姿は、肉体ではなく、その肉体に宿っている心、魂こそが本来の姿であり、
そして、その魂は肉体はなくなっても、なくなることはない、
永遠の生命をもって、この世とあの世を転生輪廻しているのだ、という事実です。
なぜ、それを伝える必要があるのか、それは、そのことがまぎれもない事実だからであり、
そして、今、現在の私たちの悩みや苦しみの大半は、ただこの事実を知らないという
その一点につきているからだと思われるからです。
人生は一度きりしかないと思えばこそ、人を蹴落としてでも偉くなろうとする、
人間は、肉体がすべてであると思えばこそ、物質的な欲望のみにのめりこみ、闘争と破壊の人生を送ってしまう。
死んでしまえば、なにもかも終わりだと思えばこそ、他人をどれだけでも傷つけようとも、
自分のみの幸福を追い求めてしまう。
そうではないのです、そんなことであってはいけないのです。
地位も名誉も財産も、そんなものはあの世に持って帰ることはできないのです。
あの世に持って還れるもの、それは心しかないのです、心がすべてなのです。
そうであるならば、すばらしい心、美しい心、愛に満ちた心、慈悲に満ちた心、
そうした心を持って還れるように、努力すべきなのです。
人生において、一生をかけて、一つの道に研鑽していた、努力していた、多くの人びとのためになるように
その道を極めようとしてがんばった、けれども、それが花ひらくことなく、
道半ばにしてその目標を達成することができなかった。
非常につらく、悔いの残る人生になってしまった、そうした方もいらっしゃるかもしれません。
では、その人の人生は、まったくの無駄になってしまうのでしょうか。
そんな事はない、そうした経験は、必ずや魂の糧となり、その人の魂を大いに飛躍させることになるでしょう。
そして、その経験が、来世、来来世には、よりいっそう、それ以上の成功を収める糧となるに違いないのです。
あるいは、愛する人と生き別れてしまった、非常な悲しみに暮れている方もおられるかもしれません。
でも、悲しむ必要はないのです、あの世に還ったならば、またその人に会うことができるのです。
そして、次の転生において、再び一緒に生まれ変わり、過去において出来なかった人生を全うすることも出来るのです。
そして今、世界に目を転じてみれば、世界中で争いが繰り広げられているかに見えます。
民族間での紛争、宗教間での争い、そして国と国との対立、我々こそが世界で最もすぐれた民族であり、
われらの国こそ、世界を支配するにふさわしいと考えている国もあれば、
過去に侵略を受けた国、侵略を行った国どうしで、
永遠に終わることがないように思われる対立を繰り広げている国もあります。
しかし、ここでよくよく考えてみてほしいのです、私たちの本来の姿は、魂であり、心なのです、
そしてそれは、永遠の生命をもって、時を越え、時代を越え、地域を越えて、
さまざまな転生を繰り返している存在なのです。
今、過去において侵略をうけた国に対して謝罪を求めている人びとは、
もしかすれば、その過去において、侵略する側の立場であったかもしれない、
その国に生まれて、他国を侵略していた側かもしれないのです。
こうした事を考えたとき、このような愚かな争いを繰り返すことが、いかに無意味であるかがわかるでしょう。
私たちはみな、神の子であるのです、永遠の生命を与えられたすばらしい存在であるのです。
そうであるならば、神の子どうし、助け合って生きるべきです。
過ちがあれば反省し、お互い手を取り合い、支えあい、許しあって生きてゆくべきです。
私たちはみな、神の子であるのだから、永遠の生命を与えられているのだから、
たとえ失敗してしまったとしても、それを糧に変えてゆくことができるのだから、
大いなる神の愛によって、光によって生かされているのだから、
永遠に幸福になっていける世界に生きているのだから。
どうか、みなさまもこの真実を、深く、深く、心に刻んで生きていってほしいと思います。
そうすることが、みなさまの幸福を約束することに違いないからです。
-人間は神の子である-
category: 高橋信次の新復活
« 高橋信次の新復活 -人間は神の子である-
太陽の法 -押し寄せる愛の大河- »
コメント
| h o m e |