孔子の霊言 -純白のスーツのたとえ- 2 
2021/07/22 Thu. 20:45

----------
善川 まあしかし、それができるものと、できないものとがいるわけです。
出来る人はそこに反省期というものを、自分自身で十分時間をかけて、
そして本来の元居た自分の世界へと還ってくるのでしょうが、
そうでないものは、その反省もせず、現実の自分達の世界に居坐って、
類は類をもって集まるの法則に従い、彼らは徒党を組み、
さらに親分子分の関係をつくり、
そのボスの言う通りボスに従って行動しているというのが現状ですが、
そういう彼らに神は自由を与えられているということが問題ではなかろうかと思うのですが…
老子 しかし、少なくともパーティ会場には入って来れないのです。
その姿では入っては来れないのです。
しかしそのシミだらけの服でね、いろんな街を放浪しているんです。
しかし人にすぐ見つかってしまうのです。
あすこに汚い男が来るよと言われる。
それで、かまわないじゃないか、と最初は息巻いているのですが、
いろんな人に指差されるとだんだん居られなくなってまた次の町へ逃がれて行きますが、
そこでもまた同じようなことが繰り返されて次の町へと逃げていく。
こういうように彼らは安住するところのない可哀想な人達なのです。
それでもお父様にお願いしたくないと、反発しているのです。反抗心をもっているのです。
帰って来て、故郷に帰ってお父様にお願いすれば買って頂けるのです。
それをあくまでも自分の節を曲げないと、俺はシミをつくった、
しかしこれは悪かったとは思わない、そういう我意、我執です。
自分の節に固執しているこうした姿なのです。
だからあなたは自由を許すというけれども、彼ら自身そんなに楽しければいいですよ、
楽しければあなたの言うとおり自由ですよ、けれども彼らは楽しくはありません。
彼らの大部分は苦しいといっています。辛いといっています。
それでも時折乱暴しているわけです。暴れているんです。
けれどもいま言った喩と一緒で、一つの村から村へ、町から町へ動く時に、
やはり人々からいろいろ指を差されてですね、厭な感じを受けてまた居られなくなるとよそへ行く、
こういうことなのです。
ただね、仲間が居るのです。似たようなのが居るわけです。
穢い男がね、乞食や浮浪者のようなのが居る。
こういった者とは話ができる。浮浪者がね、もの凄い身なりをして居るわけです。ある町にはね。
それを見ると男は胸を張って言うわけです。
「俺を見ろ! 今はこれ汚れているけれども俺のスーツは純白だったんだ」
こういって浮浪者相手に威張っているわけです。
ですから浮浪者の方は浮浪者の方で「ああこの人は今汚れているけれども、元着ていた服は、いい服みたいだ、
キットいいとこの若旦那に違いない。或いはいいとこの坊っちゃんに違いない。」
と、こういったことで敬まったりするわけですね。
これが地獄の親分子分の関係の姿です。
しかし誰もそういうふうになりたいとは思わないでしょう。
何がよくて、何がよくないかということは、
人々がそういうふうに憧れるかどうかということで決まると思うのです。
category: 純白のスーツのたとえ
« 孔子の霊言 -純白のスーツのたとえ- 3
孔子の霊言 -純白のスーツのたとえ- 1 »
コメント
| h o m e |