坂本龍馬の霊言 - 10 
2020/11/23 Mon. 23:41

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二十代で社長、三十代で専務、五十代で平になってもいい
龍馬 また社会に出てもそうだな、もう一年上だともう神様みたいに威張っちゃって、下はペコペコ頭を下げる。
おせじは言うは、ゴマは擦る。上の引きがなきゃ偉くなれないと、こんな世の中じゃ駄目だ。
若くしても偉い人間は偉い。二十代だって社長やれる人間なら社長やらしたらいいんだ。そうだろう。
二十五歳で社長やらして、三十六歳が専務で、五十歳が平だっていいじゃないか、
ばりばりやれる人にやらしたらいいじゃないか。
二十代が社長の方がいいかもわからんよ、昔お城だってそれでいったんだから、
うまく、若い藩主を家老たちが守ってそれでうまくいったんだから。同じようなことできるはずだ。
今見てみろ、会社で一番年取っている人が社長やっている。どこだってそうだ。
例外がないじゃないか。全然、こんなの間違っているよ、まあ年取ってね、
地位が増さって経験を得て、いろんなこと知っている人居るよ、判断正しくできる入居るよ、年寄ってもね、
けどね、それはすべてじゃない。一部はそういうことだけど、すべてじゃない。
けどな、今のあなた方の会社なんかを見てみろ、年寄が一番じゃないか、皆な聞達っているよ、
年寄が何割か一番でもいいよ、トップでもいいが若い人がトップでないじゃないか全然に、
おかしいと思うよ俺は、
二十代三十代トップに当てたってもいいんだ。
俺達の時代考えてみろよ、明治維新を動かしたのはほとんど二十代だぜー、
二十代の若者が天下国家を論じたのだ。
江戸城の開け渡しとか、あんなのやったのはみんな二十代だよ、やったのは、
で、また当時の時代でそうした人達でも実力さえあればね、
国を動かすようなこと許される風潮があったということだ。
俺はなあ、まあ千葉道場で師範代やっていたけど二十四位の時には、
もう千葉に、千葉道場に龍馬ありと、天下に言われとったわけだ。
まあやったことは捧振りだけどな、まあ捧振りだけどもそれでも、
坂本龍馬ありと、言われとったわけだ。
だから捧振りがうまいということだけだぞ、たかだかな。
けれども、〝あすこに龍馬が行く″と、龍馬が歩いとると、
人びとが振返る我れであったわけだ。
そんな世の中、まあ捧振りが偉いわけじゃないけど、捧振りでもできたらだなあ、
一角の人物として認められるような世の中であったわけだ。
そういう時代だ。じやあ六十代、七十代で尊敬されたかというとそんなことないよ、
捧振りが落ちるからな、そういうことだろう。
そりゃ今、捧振りの話をしているけどもな、世の中でもそうだ、企業でも何んで若いもんが一番下なんだ。
どうして大学出たばかりの二十三、四の人間がペコペコどうしてしているんだ。
ね、中にゃお茶汲みみたいなことやらされているのもいるらしいじゃないか、おかしいと思うぜ、
やつらの情熱をもっと吸い上げにゃいかん。年取ったら温和しくね、補佐役やっとりやいいんじゃ。
若いもんにどんどんやらしたらいい、そいった世の中作らんと今の日本は間違っとる。
こんなんじゃあかん。年寄がトップになるのはな、年寄の社長は三割以内にせいと言え、
後の七割は世代交替じゃ。
三割は年寄でいいわ、しかし残りの七割はもう二十代三十代じゃ。
それがもうトップになるようにせい。
社長はもう二十代、三十代だ。
そうすると新しい社会が出来てくるんだ、そういうふうにやらにゃあかん。
それで二十代三十代でね、会社の社長になれると思やあ若い時の意気込みが違うよ、
学生時代の勉強も違うよ、大学時代に一生懸命勉強すると、
俺は後もう数年したら社長になるかもわからんと思やあな、
もうどんなことがあったって夜も寝ずにでも勉強するよ、
ところがだな、社会に出たら、わしや後四十年経ったら社長になれるなんて思っていたらな、
酒と女にうつつを抜かすのは当然だ。勉強なんかしやせんよ、そんなもんだ。
category: 坂本龍馬の霊訓(一)
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