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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

出口王仁三郎霊示集 -天女の舞い- 5  

出口王仁三郎霊示集128-184


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「双子の妹さんですか、そうですか、どういう妹さんですか」と、主人が見るともなく見ると、
「こちらにおりますのが、妹でございます」と、その美しい女性が手を引いて、妹を引き入れる。

すると、そこにおるのは、夜叉みたいな女じゃ。
世の中には、えてしてそういうことがあるようじゃのう。

観音様と夜叉みたいのが一緒に住んでおることがよくあってのう。
これは妹じゃと言うが、主人が見たら、夜叉みたいじゃ。

そこで、「ああ、その夜叉はいかん、牙がはえて、目がらんらん、角がはえとる女性は、これはかなわん」と。
口を見れば、耳まで裂けとるではないか。そして、赤い舌がチョロチョロ出ておる。

髪を振り乱し、これが入ってきた分には、わしは食われるかもわからん、これは困る、と。

そうすると、その美しい女性が悲しげに、「しかし、この妹と私とは、双子の姉妹でございます。
私だけが泊めていただいて、妹を外で凍えさせるわけにはまいりません」と言うてのう、悲しい涙をはらはらと流す。

「こうして、私は何軒も断わられてきたのです」と、そういうことを言って、去っていくというインドの昔話があるのじゃ。

これはのう、二人の人がおるということじゃなくて、象徴を言うておるのじゃ。

男二十七、女二十四かのう。美しい女性と思って結婚したところが、十年も経てば、フライパンじゃ。
フライパンを振り上げて、頭を殴りにかかってくる。

玉ネギは投げる、箒で足は殴る、唾はふっかける。場合によっては、馬乗りになって、つかみかかってくる。
月給袋を持って帰ると、さっとふんだくる、そして、何も言わん。

まあ、こういう女性を見ておると、だんだん、怖くなってくる。
そして、ときどき見ておると、うちのかあちゃんに角がはえているような気がする。

あれほど美しかったと思って、迷いに迷うた女性が、何と夜叉じゃ。

わしがあのとき、あんなにラブレターを出して、くどきにくどいて、断りに断られたのを、
何とか言って、両親をくどき、親戚をくどいて、何とか式をあげた。

自分の親に勘当されてまで、式をあげた。
そんなにその女性と思っとったのに、今は角がはえておる。こんなはずじゃなかった。

自分の誤解じゃったかと、まあ、思うわけじゃ。

ところが実は、そうじゃない。誤解じゃない。それは女性(にょしょう)のね、女性(じょせい)というものの本質なんじゃ。




category: 天女の舞い

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