出口王仁三郎霊示集 -天女の舞い- 1 
2020/07/23 Thu. 13:52

今回は出口王仁三郎霊示集を紹介させて頂きたいと思います。
出口王仁三郎とは大正から昭和初期にかけて、大本教の教主として活躍した人です。
そして、巨大な霊能力を持っていたことでも有名です。
その霊能力で、広島への原爆投下を予言したことでも知られており、
そして、戦争反対を唱えて、時の政府に弾圧を受けた大本事件は歴史の知るところです。
また本書には、霊界の裏側とよばれる世界についても語られております。
裏側とは、肉体行や霊能力を中心に悟りを求めた人たちのうち、
心の方向性が間違っていなかった人たちがおもむく世界です。
この書を読むことにより、神の造られた世界の多種多様さ、
広大無辺さを垣間見ることができるのではないかと思います。
では、以下に本文を紹介させていただきます。
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天人の羽衣
今日は、第3章ということで、「天女の舞い」ということについて話をしていこう。
昨日は昨日で、仙女だとか、そういう話もしておいたけれども、今日は、仙女とは言わず、天女ときたから、
皆さん、よーく耳の穴をかっぼじって、聞いてほしいもんじゃ。
仙女と天女は違うか、違わんかと、まあ、言うことでね。
昔からよくあるじゃろ、三保の松原か何かに。
漁師が魚をとりにか何か行っとったら、ふっと見ると、天女が天から降りて来て、
何んじゃあれは、羽衣(はごろも)かい、あの羽衣を松の木に打ち掛けて、水浴びをしておったのかのう。
行水をしておったのか、洗濯をしておったのか、わしもよくわからんけれども、何かをしとったわけじゃ。
まあ、今流に言うと、言葉は悪いが、女性がいい恰好しておったわけじゃろ。
それで漁師の男は、もう目玉が飛び出すほど驚いて、まあ、目飛び出して見とったわけじゃ、松の木の陰からのう。
そしたら、天女が、おもしろそうに歌っとったんだか、泳いどったんだか、体洗っとったんだか、
わしは忘れたけれども、しとったんで、その羽衣を取ってみせたら、
「どうかその羽衣を返して下さいな」ということになったわけじゃ。
その後どうなったか、わしはよう覚えておらん。
こんな羽衣伝説というのが、いろんなところにある。
東北のほうのあるところの浜辺にもあるし、山陰海岸の浜辺でもあるし、
あるいは、琵琶湖のようなところにもあるらしいのー。湖にも、羽衣伝説があるらしい。
こういうことで、ほんとうにそんな天女というのがおるんかのーと。
そして、ときどきは降りて来て、羽衣かけておるかどうかじゃのう。
こういう問題があろう。
それから、昔から仏教のなかでも、まあ、何億年とか何兆年とかいうのじゃなくて、
仏教の時間の単位のなかで、「劫」という時間があるのう。
劫と言うか、劫と言うか、これは天女が、要するに、何年間に一回、一年に一回じゃったか、
忘れたけれど、まあ、一年に一回降りて来て、大きな岩、山ほどある岩の上に降りて来て、
そして、その上をちょっと歩く、そのときに、羽衣が擦れて岩がちょっとだけ削れる。
そういうことをやっとって、その岩がなくなる期間、これが一劫じゃ。
一劫と言ってもいいけど、こういう期間じゃと言うとった。
そして、弥勒菩薩というのが、その何劫も先、何十劫か、何百劫か忘れたけれども、
まあ、はるかなる無限の先に、生まれ変わると言われておったはずじゃ。
つまり、そういうふうに、天女の羽衣で擦れて、岩がなくなるというんだから、
これはだいぶ気の長い話じゃのう。
とっても気の長い話で、とてもついていけんぐらいの長さで、
そんなに長いことやっとったら、大宇宙がもうひとつぐらいできそうじゃとわしは思うけれども、
まあ、実際問題、羽衣でどれだけ岩が削れるか、疑問じゃけれども、
まあ、頑張っとれば、それはだんだんに削れんことはなかろう。
点滴石を穿つというから、まあ、削れるじゃろう、羽衣でものう、少しずつ。
そういう話が仏教のほうにもあろう。
まあ、そういうことで、天女というのが、昔からあるとされておる。
じゃ天女とは何かということを、もうちょっと話をしていこうと思う。
もちろん天女というのは、天に住んどるから天女であって、わしらの世界におるわけじゃ。
それでまあ、そういう美しい女性が、集団となっておるかおらんかということだけど、
やはり、ここにはおるんじゃ。
天女の世界というのは、いろいろ分かれておるんだけども、まあ、大きく分けると、三種類ぐらいになろうかのう。
category: 天女の舞い
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