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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

親鸞聖人霊示集 -悪人正機説- 4  

親鸞聖人霊示集128-184


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総理経験者が地獄で苦しんでいる理由


親鸞が善人、悪人は、今の世で言えば、成功者と、そうでない者であります。
こう言えば、あなた方にもわかるでありましょう。

神は失敗した人と成功した人とでは、どちらを救ってくださるでしょうか。

自分の人生は失敗をしたと思っている人、一生平社員で終わった人、
会社を首になって職を転々とする人、能力を持ちながらもその芽を伸ばせずして苦しんでいる人、

あるいは、能力を持ちながらも家庭環境、病、事故など、さまざまな問題が起きて、
そのオ能を発揮できなかった人。

あるいはまた、若い人たちが今、野球というものにうち興じているが、
オ能を持った子供が、たまたま晴舞台で怪我をしたがために、
プロの選手として活躍する機会を失う。こうしたこともあるのです。

神は一体どちらをいとおしいと思われるでしょうか。
仏はどちらを救いたいと思われるでしょうか。

答えはわかっています。すなわち、世の失敗者こそ、神仏が、
両手にとって抱きしめたいと思っている人びとなのです。

悪人もまた、悩んでいる人です。悩んでいる人とは、失敗した人です。
成功した人ではありません。

成功した人びとは、自叙伝を書いたり、自分の成功談を人に話します。
「俺はこうして社長になった」と。

しかし、社長になったときに、どれだけの悪を含んでいるかです。
その人は、それをおそらく生涯反省することはないでありましょう。

そして、失敗者たち、成功しなかった人たちは、自分の人生は何とつまらない人生であったことかと思う。

一方、成功者たちは、何と素晴らしい人生であったかと、そう思ってその人生を閉じるのです。

しかし、その後の世界においてはどうでしょうか。イエスが言ったとおりです。

すなわち、イエスは、「己れを低くするものは、高くされ、己れを高くするものは、低くされる」と言いました。
そのとおりなのです。

自らの悪を見つめ、自らの弱さを見つめ、自らの悩みを見つめ続けた人こそが、
本当に神の愛を受けるにたる人間になるのです。

自らを成功者だと思い、この世的に偉いと思っている人、自分を秀れた人、
立派な人、善人だと思っているような人。こうした人たちこそ、
この世を去ったときに、反省すべきことが多いはずです。

失敗者は、この世において、すでに反省をしておるのです。
この世において、なぜ自分は失敗をしたのかということを、日夜考えているのです。

しかし、成功者は、この世においては、なぜ俺は成功したのかという点だけを、日夜考えている。
そして、あの世に還って初めて、反省を始めるのです。

世に総理大臣とかいわれる人びとも、そうです。
歴代の総理大臣のなかには、今、地獄で呻吟している者もおります。

しかし、彼らには、その理由がわかりません。

俺は、世のなかで登りつめた人間だ。日本で一番偉かった、一番の成功者だ。
その俺が、なぜ地獄にいるのかと考える。

すなわち、自らの成功のみを考え、自らの失敗を知ることが少なかったからです。

しかし、この世で自らの失敗を見つめた人は、あの世で自らの失敗を見つめ続ける必要はないのです。

一方、この世で自らの成功を追い求めた者は、あの世で自らの失敗を、
心の世界における失敗を知る必要があるのです。それがわかるまでは、反省を続けねばならんのです。




category: 悪人こそ救われる

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