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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

親鸞聖人霊示集 -悪人正機説- 2  

親鸞聖人霊示集128-184


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すでに結果です。人を殺すということは、これはもう、死刑と同じです。

生きている人間としては、仏性の最悪のところまできているのです。
仏性が最悪のところまできているのです。

仏性が最悪に曇っておるのです。これだけでも罪です。

殺したいとまでは思わない人は、恵まれた人たちであります。
そう思うということだけでも、もう罰せられています。

その人は、人を殺す前において、その罪は、もう贖われるているのです。それだけ苦しんだ魂です。

よくぞそこまで、苦しんだ。

それを赦さないで、責め続けるのは間違っています。

魂が苦しんでいるのです。

あなた方は、同じ時代に生きていて、人を殺したいとまでは思わないでしょう。
人を殺したいとまで思わないのは、あなた方が優れているからですか、そうではないはずです。

つまり、あなた方が、それだけ不幸ではないからです。
人を殺したいと思うところまで、不幸ではないのです。

実際、人を殺してしまった者は、不幸な方なのです。

むしろあなた方は、同情すべきであって、責めたてるのは間違っています。

また、人を裁く人がおります。善人だと思っておるのでしょうか。

私は、職業が悪いとは言いません。
ただ、警察官であるとか、検事であるとか、裁判官であるとか、その職業柄、人を裁かねばならぬ人がおります。
この人たちのなかに、悪はないのでしょうか。彼らのなかに、悪はないのでしょうか。

彼らは、少なくとも人を殺す、殺してしまうほど不幸な人ではないはずです。

しかし、情心をもって接したでありましょうか
人を裁き、人を追いつめる立場にある人は、自分自身の心、自分自身の行ないを振り返ってみるべきです。

それを問いつめるだけの優れた自分であるかどうかを、よくよくお考えになればいい。
人間、人を裁くことはできないのです。

すなわち、本当の世界とは、心の世界なのです。

外見を善人ぶることは、だれでもできます。
いや、だれでもではないでしょう。

しかし、できる人もいます。外見を、偉い人であるかのごとく、罪一つ犯さない、
虫一匹殺さない人のように、とり繕うことは可能です。

しかし、心の世界は、誤魔化すことはできません。
神仏の眼から見た人間の心は、一目瞭然です。

「汝らのうちで罪なき者のみ、悪を犯したことがない者のみ、この女に石もて罰せよ」
とキリスト、イエス・キリストは言いました。

キリストは、罪を犯したことのない者と言いましたが、
では、もう一歩進めて、「汝らのうちで、悪を思ったことがない者だけ、この悪人を罰しなさい、裁きなさい」と言ったとしたら、
裁ける人は一人でもおりますか。

あなたでも、裁けないはずです。あなたも身に覚えがある。心に覚えがあるはずです。




category: 悪人こそ救われる

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