親鸞聖人霊示集 -悪人正機説- 2 
2020/04/29 Wed. 13:24

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すでに結果です。人を殺すということは、これはもう、死刑と同じです。
生きている人間としては、仏性の最悪のところまできているのです。
仏性が最悪のところまできているのです。
仏性が最悪に曇っておるのです。これだけでも罪です。
殺したいとまでは思わない人は、恵まれた人たちであります。
そう思うということだけでも、もう罰せられています。
その人は、人を殺す前において、その罪は、もう贖われるているのです。それだけ苦しんだ魂です。
よくぞそこまで、苦しんだ。
それを赦さないで、責め続けるのは間違っています。
魂が苦しんでいるのです。
あなた方は、同じ時代に生きていて、人を殺したいとまでは思わないでしょう。
人を殺したいとまで思わないのは、あなた方が優れているからですか、そうではないはずです。
つまり、あなた方が、それだけ不幸ではないからです。
人を殺したいと思うところまで、不幸ではないのです。
実際、人を殺してしまった者は、不幸な方なのです。
むしろあなた方は、同情すべきであって、責めたてるのは間違っています。
また、人を裁く人がおります。善人だと思っておるのでしょうか。
私は、職業が悪いとは言いません。
ただ、警察官であるとか、検事であるとか、裁判官であるとか、その職業柄、人を裁かねばならぬ人がおります。
この人たちのなかに、悪はないのでしょうか。彼らのなかに、悪はないのでしょうか。
彼らは、少なくとも人を殺す、殺してしまうほど不幸な人ではないはずです。
しかし、情心をもって接したでありましょうか
人を裁き、人を追いつめる立場にある人は、自分自身の心、自分自身の行ないを振り返ってみるべきです。
それを問いつめるだけの優れた自分であるかどうかを、よくよくお考えになればいい。
人間、人を裁くことはできないのです。
すなわち、本当の世界とは、心の世界なのです。
外見を善人ぶることは、だれでもできます。
いや、だれでもではないでしょう。
しかし、できる人もいます。外見を、偉い人であるかのごとく、罪一つ犯さない、
虫一匹殺さない人のように、とり繕うことは可能です。
しかし、心の世界は、誤魔化すことはできません。
神仏の眼から見た人間の心は、一目瞭然です。
「汝らのうちで罪なき者のみ、悪を犯したことがない者のみ、この女に石もて罰せよ」
とキリスト、イエス・キリストは言いました。
キリストは、罪を犯したことのない者と言いましたが、
では、もう一歩進めて、「汝らのうちで、悪を思ったことがない者だけ、この悪人を罰しなさい、裁きなさい」と言ったとしたら、
裁ける人は一人でもおりますか。
あなたでも、裁けないはずです。あなたも身に覚えがある。心に覚えがあるはずです。
category: 悪人こそ救われる
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