親鸞聖人霊示集 -悪人正機説- 1 
2020/04/19 Sun. 14:29

親鸞聖人の教えの中に悪人正機説という教えがあります。
善人が救われるのなら、悪人が救われて当然である。
むしろ悪人こそが救われるのである。
この教えについて、疑問に思っておられた方も多いでしょう。
それは逆ではないか、善人こそ救われて悪人が救われないのが当然なのではないか。
今回は、親鸞聖人霊示集の中から、その悪人正機説の本当の意味を紹介させていただこうと思います。
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まず、言っておかなければいけないことがあります。
それはすなわち、あなた方生きている人間には、何が善であり、何が悪であるかは、
わからないということなのです。
もし親鸞が、何が善であり、何が悪であるかということを言い切れる人間であったなら、
親鸞は、一人ひとりの人をつかまえて、「お前はここが悪いから、ここを正せよ」と言ったでありましょう。
しかし、何が善で何が悪かは、人間ではわからないのでござる。
これは、神仏のみが知っておられることなのです。
ですから、この世には、悪を犯したと言われて命を奪われる者、悪を犯したといって死刑を宣告される者がいる。
そのような者は、悪を犯す前において、決して幸せであったはずがありません。
人を殺そうと思うような心になるということは、その者が幸せではあり得ないのです。
そこで、その者は、その事実そのものにおいて、すでに罰せられているのです。
人を殺そうという気持ちを起こすということ自体が、すでに罪なのです。
そういう気持ちが起きたということは、その者はどれだけ不幸で、どれだけ苦しんでいるかを証するものであります。
あなた方は、幸いにして、人を殺したいとまでは、思ったことがないでしょう。
人を憎んだことはあるでしょう。怒ったことはあるでしょう。
ただし、人を殺したいとまでは思わなかったはずです。
すなわち、あなた方は、それだけ幸福な、幸せな存在なのです。
しかし、人を殺そうと思って殺してしまった人は、その事実、もう消しがたい事実によって、
すでに罰せられているのです。
その人がそこに至るまでにおいて、どれだけ多くの人が、その人に対して悪をなしたでありましょう。
その人がそこまで至るまでに、一体どれだけの心の遍歴がありましたでしょうか。
その人のご両親、その人の兄妹、その人の親類、その人の先生、その人の友だち、あるいは、道行く人びと、
そうした人びとは、その者に対し、慈悲深い行為をしてきたでありましょうか。
情深く接したでありましょうか。そうではなかったはずであります。
その者は、すでに罰せられておるのです。死刑にされる前に、すでにもう罰せられているのです。
ですから、その者を、さらに刑務所に入れ、なお生きている命を奪う。
これは悪を重ねているようなものであります。
category: 悪人こそ救われる
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