キリストの霊言 -I- 9 
2020/01/12 Sun. 16:50

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私にも罪はあった
-善川-
あなたのことについて、イエス・キリストは、神の一人子であって一点の罪もなく、この世に生れ、
この世を去った方だとキリスト教を信ずる方々は言っていますが、そうであったのですか。
-イエス-
悲しいことではありますが、私もさまざまな罪を犯しました。
私はたとえば、親孝行をしませんでした。これは私の罪でありましょう。
私は兄弟たちを捨てました。これも罪であったでしょう。
とり方によっては私の声は、ある時は不遜に聴こえ、倣慢に聴こえたでしょう。
あるときは、かつての宗教、モーゼの教えを信じていた人たちを傷つけたかも知れません。
これもある意味では罪でありましょう。
しかしながら、そうしてでも実現しなければならないことがあったのです。
そうです。大きな道があったのです。
私はその過程でさまざまな罪を犯しております。
私は一つの罪もなく殺されたものではありません。
-善川-
それでは聖句の中に『もし右の目汝をつまずかせば、扶り出して棄てよ。
五体の一つ亡びて全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり。もし右の手汝をつまずかせば切りて捨てよ‥…』
という一節があるわけなんですが。
-イエス-
言い過ぎです。それは後の人びとがかなり誇張した形で言い過ぎております。
-善川-
言い過ぎといいますと-。
-イエス-
目を棄てよ、とまでは私は言っておりません。
-善川-
もし右の手汝をつまずかせば切りて棄てよと。
-イエス-
言い過ぎです。ただ私はそのような眼を持つなら、
眼を持たない盲目の方がましだということを言ったのです。
目を抉りて棄てよなどとは、私はいっておりません。
-善川-
そういう誡を守り、自らの腕を切った僧侶もいましたですね。
-イエス-
愚かであります。そういう話を聞くことは、非常に悲しいことです。
私たちにとって、自分の教えがその通り伝わらず、間違ったふうに伝わり、
間違ったようにとられ、さまざまな不幸を生み出すということは一番つらいことです。
私は目を扶りとれとまでは言っていないのです。
そのような眼は持たぬ方がましだと言ったのであります。
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