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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

キリストの霊言 -I- 4  

キリストの霊言

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「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」の解釈は誤り

-善川-
いま一度お尋ねいたしたいのですが、ゴルゴダの丘で十字架に掛けられ肉体としての最後のお言葉を発せられた
イエス様のお言葉をもう一回お聴きし、その節のイエス様のご心情を理解申し上げたいと思うのですが。
と申しますのは、あなたが叫ばれた『エリ、エリ、ラマ、サバクタニ!』というお言葉を聖書は、
『わが神、わが神、なんぞわれを見捨て給いし!』と解釈しておりますために。

-イエス-
間違っております、間違っています。

-善川-
今あらためてそのことの、本当の意味をあなたのお口からお聴かせねがいたいのですが。

-イエス-
その解釈は間違いです……。

-善川-
なんと仰せられたのですか、お聞かせ下さい。

-イエス-
『エリヤ、エリヤ、ラッファエロ! エリヤ、エリヤ、ラッファエロ、サバイタア!!』

-善川-
そのお言葉は、何という意味だったのでしょうか、お教え下さい。

-イエス-
エリヤ、およびラッファエロを私は呼んでおりました。
迎えに来なさいということです。

-善川-
迎えに来なさいと仰しゃったのですね。

-イエス-
私は今死ぬ時が来た、この地上を去る時が来た、光の天使達よ、私を迎えに来なさい!
と、そういうことを私は言ったのです。

-善川-
はい、よくわかりました。
その後あなた様は復活されました。その時十二弟子、いや十一弟子ですね。
その十一人のお弟子さんの所へ現われたということは事実でしょうか。

-イエス-
私の復活ということに関してですけれども、私は現象として、彼らの前に現われたのではないのです。
彼ら自身が霊能力を持っていたということです。彼ら自身が私の姿を見ることができたのです。
復活現象というものは、私が生きた人間と同じように、彼処に現われて歩いたということではないのです。
彼ら自身が、私が何者であったかということを、霊の目を通して見ることができたということであります。
余り現象的に、肉体的に復活を考えられては困ります。

-善川-
では処刑をうけた日より三日後にあたりますか。
お身内の人びとが、仮埋葬された墓地に、香油を持ってあなたを訪ねた時に、
あなたのお姿はそこになかったということですが。

-イエス-
もちろん私は墓にはおりませんでしたが、あなたは私の肉体のことをいっているのですか?

-善川-
そうです、あなたのご遺体が消えていたということについて。

-イエス-
私を信ずる者の一人が、肉体としての私を何処かに運び去ったということです。




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