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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

キリストの霊言 -I- 2  

キリストの霊言

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-善川-
たとえばペテロについてはどうだったのでしょうか。

-イエス-
ペテロですか、ペテロがこの日本に再生したときのことですね。

-善川-
そうです。

-イエス-
私は直接は指導しておりませんが、やはりペテロの親しい人達がペテロを指導していたはずです。

-善川-
しかし、矢内原忠雄という名でこの日本へ再生されたペテロは、やはり、
いま言ったことを同じように言って来ました。

-イエス-
今言ったこととはどういうことでしょう。

-善川-
矢内原先生は、イエス様は神のひとり子であったとし、
イエス様の御名を通すことによって人の罪は赦されるのだと説いておられましたが……。

-イエス-
肉を持てば、すべては分らないのです。たしかにキリスト教の中に生きる人にとっては、
私は神のひとり子かも知れませんが、実際は、そうではありません。
しかし、私は、神に最もそば近くにある人間であることは確かです。

-善川-
それはもう万人が認めて、あなた様を崇拝しているところでありますが、
神のたったひとりの御子であるということについて、疑問があったということと、しかし、
そのようなことを、いつまでも教えているということについての指導が、なぜなされないのかということを……。

-イエス-
しかし、私は、あなたに言っておきたい。確かに「ひとり子」という考えは間違っているかも知れませんよ。
しかしながら、ひとり子ということを信ずることによって、私の教えに帰依する人はいるはずです。
私は、死して既に二千年になりなんとしていますが、しかしながら、私の教えの中にもまだ真理は残っております。
ですから彼らが私を、一人子か、二人子か、三つ子か、そのようなことを考えるのではなくて、
ただに私を一人子と信じても、そのことによって、それをとおして、私の教えに接することがあるのであれば、
その方法、そのみちすじは、問うべきではないのではないでしょうか。
真理に到達することこそが、真に必要なことであって、私をひとり子だと信じるかどうかというようなこと、
そのようなことは関係がないはずですし、私自身、自分が神だとは言っていないはずです。

-善川-
当時、民衆が神を問うた時に、あなたは「われを見よ」と言われたことがあります

-イエス-
そうです、あります。
「私を通して神を感じ取りなさい」と、常づね説きました。
神を見せよと言われても、神を眼の前に見せることはできません。
しかしながら、私は神のそば近くいるものであります。そのことは、私は自覚しておりました。
ですから、私を見、私の言葉を聴き、私の行いを見る中に、神の一部分を見ることはできるはずです。




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