スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 12 
2019/10/21 Mon. 14:16

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正しい信仰心の必要性
さて、では地獄という世界はもうどうしようもない世界なのかどうか、これについて考える必要があるでしょう。
たしかに、この広大無辺な世界、そしてそれぞれに独自の論理や、
思想を持っている人たちが住んでいる世界で、彼らを説得するということは、
きわめてむずかしいことであるのは事実です。
私たちがそこへ行って、光の天使だといったとしても、にせキリストが出回っているような世界ですから、
まったく逆にされてしまうことが多いのです。
私たちこそが地獄のサタンだといわれてしまう、こういうことがあります。
彼らは地獄のサタンだから気をつけなさい、口のうまいことをいって、
そして私たちをどこかに連れていって、監禁するつもりらしい、あるいは食べてしまうらしい、
こういうことが言われるのです。
なにが真であり、なにが偽であるか、これがまったくわからない世界、それが地獄界といってもよいでしょう。
こうしてみると、地獄界の迷妄をはらすためには、いちばんたいせつなものは何であるかというと、
真実を知るということだといえましょう。
しかし、こうした世界のなかにいれば、何が真実であるかさえわからなくなってくる、そういうことがあるのです。
何が真実であるかさえわからない、いったい何を信じてよいのだかわからない。
それゆえ地獄をつくっているものは、実はなんであるかというと、神理への無知、これがひとつ、
それと神への信仰の欠如です。この二つの柱が明らかにあるように私には思えます。
神理をまず知らない、ほんとうの神理とは何かを知らない。
そして、その神理の一片をかじっていても、それを自分流の勝手な解釈をして、まちがったふうに実践している。
これがひとつですし、もうひとつは根本的に神を信じていないということです。
地獄のなかにも、偽物の信仰をやっている者たちはいます。そのなかに生き神さまや教祖がいて、
その教祖の説く神を信仰している者たちも結構いることはいるのですが、
いかんせん、彼らの説く神は欲望の神であって、どうしてもほんとうの神とはちがっています。
そして、このなかに、地上に生きてきて、まちがって地獄に堕ちた人たちが数多くいるという現状を考えると、
この広大無辺な世界にただ独り投げ入れられて、ここから脱出するということはかなり困難であるといえると思います。
まわりの人たちの思念、想念の世界から逃れて自分独自の道を開き、
そして悟っていくということは、これはきわめて困難なことです。
師もおらず、また参考にするものもなく、どうするわけでもない。
このような世界でどうやって真実の光の道に入ってゆくか、きわめてむずかしいことです。
これを考えるに、やはり生前になんらかのほんとうの宗教というものにめざめて、そして、
信仰を持っているということがだいじです。
この信仰を持っていれば、その正しい信仰を続けることによって、
やがてその宗教団体における守護霊団、指導霊団たちが救いの手をさしのべてくれることがあります。
これを、そうした信仰心なく独力だけで地獄を出ようとすると、
かなりのむずかしさ、困難さがあるといえましょう。
それゆえに、生前に正しい教えが多くの人によって信じられることが、だいじであると思うのです。
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いかがでしたでしょうか。
今回、紹介させていただいたことは、私たちにとっても良き戒めとしたいと思います。
そして、本当に正しい事とは何なのか、それをよくよく理解して生きていけたらと思っております。
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