スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 11 
2019/10/14 Mon. 11:32

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地獄界の二つの法則
この地獄界というものは、いろんな世界がひろがっておりますが、
そこに共通しているものは、二つの法則であるように私には思えます。
ひとつは、それなりの論理をかならず持っているということ。
自己欺瞞をするためのなんらかの説明がかならずあるということ。
もうひとつは、その人の思ったとおりの姿、心の傾向性どおりの姿をとるようになっているということ。
この二点です。これはどこに行っても共通しているようです。
そして、まことに不思議ですが、心の傾向性が変われば、その外見、形状が変わります。
それだけではなく、住む世界もやがて変わってゆくことがあります。
地獄では比較的浅いところに住んでいても、そこで大ボスをやって、次第しだいにその悪の部分を伸ばしてゆくと、
ある日を境にもっと下の世界にストーンと落ちてゆくことになります。
そうすると、地獄の世界では一種の神隠しであって、その人がいなくなるということになるわけです。
あるいは逆もあります。比較的深いところに住んでいたけれども、だんだん嫌気がさしたり、
あるいは本人が悔いることがあったりして、そしてもうすこし別な世界を求め始めたときに、
心境が変わって、一段上のところにあがってくる、こういうことがよくあります。
たいていの地獄霊たちは、住む世界が変わると、たがいに接触ができなくなってしまいます。
ただ、サタンという連中はひじょうに地獄の地理に明るく、いろいろなところに出没しております。
あえてこの世界を視覚的に表わすとするならば、やはり洞窟のような暗いところを下って行く、
そういう石段を下って行くといろんな地獄界が次つぎと出てくる、こういうふうになりましょうか。
全体にうす暗く、そして最深部に行けば行くほど、漆黒の闇のようになっています。
さて、地獄の世界には、これ以外の変わった世界ももちろんあります。
それは、まったく孤独な世界です。こういう世界があります。
砂漠に独りでいるような、そういう孤独地獄というものもありますし、それ以外の世界においては、
たとえば同じような孤独地獄であるのですが、もう自分が身動きができないような地獄もあります。
ちょうど沼地に生えている葦か、あるいはヨシのような植物になったような気分になって、
動かずに埋もれている、こういう者たちもいます。
私の目から見ればそれは、葦やヨシのように見えるのだけれども、よくよく見てみると、
それぞれに顔がついていて、実は人間だということがわかります。
こうした者たちは、深い罪の意識にとらわれ、もう人間との接触を断ちたいという思いが強く、
そして孤独な世界のなかにひきこもっている者たちです。
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