スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 9 
2019/10/11 Fri. 23:30

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そして、美しい官能の世界を描いた気持ちでいます。
あるいはある者は自分は芸術家だと称し、画家だと称し、
そして裸婦の姿こそ世界でいちばん美しいのだといっております。
そして、通りすがりの女性をつかまえては暴行し、そして裸にしては絵を描く、
こういうことをくり返している者もいます。
芸術という美名のもとに、すべては許される、このように考えているようであります。
およそこういうものであって、地獄の世界というものもまったくの狂気というよりは、
この世のなかにもそれなりに、なんらかの理由によって存在を許されている者が、
そのなんらかの理由というものを自分に都合よく強調しすぎて、あの世に持って来るということがいえましょう。
この世においては、その意志の部分、意図の部分がまだ小さかったとしても、
あの世の世界、霊の世界に行くと、それが拡大されてくるのです。
拡大されて、もっと大きなもの、もっとはっきりしたものにすべてなってくるのです。
こうした色情地獄も、有名な血の池地獄というようなところもありますが、
それ以外、もっと近代的なところがいくらでもあるのです。
劇場であったり、あるいはホテルのようであったり、あるいは温泉宿のようであったり、
こういういろんな場面のなかで色情地獄が展開されているわけですが、
それは本人たちにとってはひじょうに憩っているような、
そして自由であるような、喜びであるような気持ちでいるのです。
ただ、惜しむらくは、そうした性的行為に夢中になっているときに、本来の人間性を忘れ、
人間の魂の尊厳をどこかに置き去りにしているということなのです。
そして、本人たちは、ひじょうに美しい肉体というものを追いかけているつもりでいるわけですが、
これは私たちの目から見れば、男女共にたいへん醜悪な姿に見えるのです。
男性は身の毛もよだつような、いわゆる、なんといいましょうか、
色情漢といえるようなものになっておりますし、女性もそのようになっております。
この色情地獄の近くに動物地獄、畜生道というものもありますが、
そこなどへ行くと、姿がもうほかの動物に変わってしまっている者もいます。
もとは人間であったにもかかわらず、ほかの動物に変わってしまっているのです。
たとえば蛇、大蛇というものもあります。
雄の大蛇、雌の大蛇、これらの絡み合いというものを、みなさん想像したことがあるでしょうか。
彼らは意識においては人間ですから、男と女が、絡み合っているつもりでいるのですが、
はた目に見れば、それは雄と雌の大蛇が絡み合っているとしか見えないのです。
そのような鬼気せまる姿が展開されています。
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