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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

スウェーデンボルグ霊示集 -私の見た地獄界- 6  

スウェーデンボルグ霊示集128-184


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そうすると、その憑依された者が、異性の虜になっていればますます異性の虜となってゆく方向に指導し、
お金の虜となれば、ますますその虜となってゆく方向に指導し、

名誉心の虜となれば、その方向に指導し、勢力欲・拡張欲の虜になっている者にはますますその虜とする、
そのようなかたちでいろいろと狂わしてゆきます。

また、宗教家などにとりいれば、その宗教家がひじょうに名誉心や自己顕示欲が強いと、
この部分に攻め込んでゆきます。

そして甘い言葉で彼らの心をくすぐり、満足させる方向でやってゆくようになってゆきます。
こうしたものなのです。

これは一見ひじょうに巧妙で、地獄霊たちも自分たちは本当によいことをしている、と錯覚していることが多いのです。
生きている人たちを導いているつもりでやっていることがあります。

こういう地獄宗教というものも、現にあるのです。

そしてこうしたものが大量に入り込むと、地上にある新興宗教などは混乱を起こしてゆくようになります。
集団的にそうした悪霊の巣窟になってゆくことが、多いといえましょう。

こういう意味において私たちは、ひじょうに思想というものは怖いものだ、恐ろしいものだということを感じます。
ほんの紙一重のところでちがってゆくのです。

ただ、言えることはこの悪魔たちがそそのかすものには、いつもひとつの傾向性があるということです。

それは本人の欲得に訴えかけるということなのです。かならずそうです。本人の欲得に訴えかけてゆきます。

ですから、彼らがいちばん苦手としている人は、欲得のない人、利己主義者でない人、
謙虚な人、いつも反省をしている人、いつも神に祈っている人、
こうした者がいちばん苦手で、取り憑きにくいのです。

とくに祈りなどにおいても、自分の利益のための祈りをやっている者は割合とり入りやすいのですが、
神に感謝の祈りをいつも捧げているような人はなかなか近寄ることができません。

また、謙虚に生きている人、反省で生きている人、こんな方にも近寄れません。
ちょうどその人のまわりには、淡いオーラのようなものが出ていてそれ以上近寄れなくなってくるのです。

近づいてもどうもいづらくなる、こういうふうになってゆきます。




category: 私の見た地獄界

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