高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 12 
2019/07/15 Mon. 10:56

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ですからね、地獄霊もまあ苦しみは苦しみかもしれないけれども、その中で彼らなりの、
もちろん修行はあるということなんです。
彼らにとって、地獄霊がね、菩薩界にいることが決して修行にはならないんですね。
こんな愛と慈悲の世界にいても、他の人たちのことが理解ができないんですね。
それはたとえば、豪華な宮殿の中に、あるいはどこでもいいよ、宮内庁でもいいし、
あの天皇のあれでもいいが、あの皇室でもいいけど、皇室の中に乞食が一人いたら、ね、
やはり彼らもお互いに困るんだね。
そういうもんで、乞食は乞食の中で、やはり魂修行をしている。
一流企業の社員は一流企業の社員で魂修行をお互いにしている。
こういうところがあって、自分にふさわしい修行の場でやっぱり磨いてるんだね。
まあ開き直る人がいて、「それじゃああなた、地獄もいい所じゃないか」ってねえ。
「修行があるんなら、それで何がいけないんだ。地獄なんか解消する必要ないじゃないか」
って、こういうふうに言う人がいますね。
「地獄いいとこ一度はおいで、おれも行ってみたいよ」と。
こういう人いるけど、これは考え違いしているね。
たとえばそれは、悟りにおいて小学校一年の人もおれば、小学校六年の人も、中学三年の人もいる、ね。
小学校一年の人は一年の人で勉強があるんだから、それでいいじゃないかというが、そうはいかんのだよ。
やっぱり、一年生は二年に、二年は三年にね、五年は六年に、そして六年終わったら中学校に、ね、
こういうふうに段々と進歩していってくれないと、世の中が良くならないし、本人の勉強にもならない、ね。
一年生でいつまでも留年されたら、たまったものじゃない。そうでしょう。大学も留年増えているけれど、
いつまでも許してくれないでしょう。
あんな大学生、あなた、二十年も三十年もやられてたまるものじゃない、ねえ。
次の人つかえちゃう。そうでしょう。
こういうことであってね、低い悟りの段階でもいいじゃないかとか、
修行の意味があるならいいじゃないかっていうけれども、これは全体の一つの流れを見てないね。
やっぱりね、大いなる進化の過程にあるんですよ、この宇宙と人間の修行もね。
大いなる進化の過程にあるから、いちばん下のやつは下でいいと言うわけにはいかんということなんですね。
そこに入ったものでも、最下級のクラスに入ったものでも、
やがて悟りを開いて上にあがってこなけりやあいかんのです。
こういうふうにできてるんです。
これ教育過程なんですね。
だから、いちばん下からもちろん入ってくるんだよ。だから、地上を卒業してね、
もうすでに大学生の悟りを得ている人は大学に入ってくるし、
大学卒業の悟りを得ている人は大学院に入ってくる、あの世でね。
ところが、まだ小学校卒ぐらいの学力しかない人は、まだそのへんに入ってくる。
幼稚園レベルは幼稚園レベルに入ってくる。
けれども、それでいいとは言わんということです。
やがて年限があれば、それを通り過ぎないかんということなんですね。
だから、全体の発展ということはあるわけでね、地獄でそのままでいいと言うわけにはいかない。
だから、彼らは百年、二百年、三百年と殺し合いをしたり、蔑み合ったりしてるかもしれないけれども、
それも、だんだんにね、やはり自分を知ることによって脱皮してくるんですね。
まあ、そういうことが言えると思います。
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