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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 11  

高橋信次の天国と地獄128-184



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地獄霊と修行

さて、そうした地獄があるわけですが、じゃあ地獄霊っていうのは、罰のために地獄にいるのか、ねえ。
罰せられるためにいるんかと、まあこういう問題があると思う。

まあ確かにね、そうした面がないこともない。神様っていうのも、巧妙だからね。
罪はない、罰はないなんて言いながら、まあ確かにやってるところはあるだろう。

というのは、まあ戸塚ヨットスクールなんてあったけれども、ああいう精神障害児を治すためにはね、
力でやったほうがいい場合がある。パンパンと、要するに暴力っていったらあれだけど、腕力でもってやらした方が、
軟弱な精神を立ち直らすっていうことはあり得るんだよね。

体操の教師もそうだよね。猫なで声で言っているよりは、もうパンパンッとやった方がよくきく。
「ほらあ、腕立て伏せ三十回」「いやです」「なに、やらんてか」って、「ほらあ、おれが上から乗ったろか」なんて、
もうペチャッと潰れちゃいますね。

まあこういうのありますが、しごきとかいうのもあるけどね。
まあ、それはいろんな方便の現われ方であってね、やはり厳しく指導した方がいい場合もあるんだね。

愛がそういうふうに現われる場合だね。厳しく現われる場合もある。

ただね、その地獄霊も単に苦しみのために苦しんでいるのではないということね。
自分がもっぱら出しておった念の世界で、生きておるんだ、結局。そうだろう。

泥棒は泥棒の世界で生きているし、他人を非難ばっかりしておった人間は、
お互いに非難しあうような、そういう地獄にいるんですね。

だから、それが地上のとき以上にすごい衝撃力をもった非難だから、向こうが非難すると、
刀が飛んでくるような感じに見えるんだね。

刀が飛んできて、ズボズボズボツと自分の中に突き立つ。
「何を」と思って、その刀を向こうに投げ返す。向こうもズボズボズボツとなるね。
こういうふうな感じになるんだね。

だから、地上で言い争っている連中も、あの世で霊的に見ればね、もう二メートルもある刀ふりかざして、
お互いに切り合いしているような状態だな。まあ、こういうことはあるんですね。

あるいは、なんて言うか、病人なんかでもね、もうマイナスのエネルギーで死んだ人、
もう治りたい治りたい、苦しい苦しい、痛い痛いというような念で死んだ人は、
そのまま地獄でもそういう世界を展開していることがあります。

で、彼らはね、そうした生き方をしておってね、自分自身の姿が、
第三者の目で、見えるようになるまでそれを繰り返します。
それを続けるんですね。

なぜかというと、やはりね、物わかりのいい生徒は、ちょっと言えばね、自分のことまでわかるが、
物わかりの悪い人は、自分で体験しないと覚えないんですね、どうしても。

これが教育における、最後の難しいとこですがね。
やっぱり、いくら言っても、自分で体験しなけりやわからんことがあるんだ、ね。

言うこときかん子供は、おしりペンペンしないとわからんことってあるんだな。
だから、まあ、これは最低限だけどねえ、「いうこと聞かないと、ご飯お預けよ」
って言われてまでしないとわからんような人。

おしりペンペンされないとわからない人。まあ、これはよっぽど聞き分けのない人です
が、こうした人もいることは事実なんです。

彼らは、自分らがいちばん嫌なことを実体験しなければ、悟らないんですね。わからない。こういうことがあります。




category: 天国と地獄

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