fc2ブログ

神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

高橋信次の天国と地獄 -天国と地獄- 3  

高橋信次の天国と地獄128-184



----------



けれど本当の世界は、この一念三千の世界であってね。

そして、人間がいま二十歳、三十歳、四十歳、いろんな段階で生活してますが、
心の中の像というものは、これ想念帯の中に、みんな蓄えられているんですね。

蓄積している。そして、この蓄積されたフイルムがあの世にいって、ようするに放映されるようなものなんですね。

すなわち、あの世の世界、どういう世界に行くかということは、
この地上で生きている間に自分が念ったこと、あるいは念いを具体化した、行なったこと、
こうしたものの念のフィルムですね、これがそのままあの世で、その人の生活を映しだすものとなるんですね。

結局この世での生き方が、あの世でのすべてになってくるんです。

だから、この世とあの世というのは切り離したものじゃなくて、延長なんですね。

この世の中で生きておって、思っているような世界が、あの世で展開するんですね。

人間はね、まあ、行動については、ある程度人による規制っていうかね、
チェックはあるけれど、念いについてはあんまり言われない。

たとえば、「おまえ腹黒いことを思ってるだろう」なんてことを、本当は言われてもいいようなことでも、
顔がニコニコしてればわからない。そういうことがありますね。

ところが、あの世ではそれがそのまま出てくる。まあ、こういう世界なんですね。

ただ、その自分の心の念いが今どこにあるかということを、自己認識できる人は非常に少ない。
わからないんですね、たいていの人は。わからないです。全然わからないです。

だからそれができる唯一の機会っていうのは、正師、正しい師ですね、これがおって、
その人の心の状態を言い当ててね、悟りへの指導をするような場合だけ。

このときだけ、わかるんだね。これ以外のときは、わからないですよ、ね。

だから、こういう霊言集だしてね、これが「本物だ、にせ物だ」なんて、いろいろまあ議論もあろうが、
裁判官だって絶対わかりませんよ。わからないです。

彼らには、要するに日本の六法読んだって、あの霊言が本物かにせ物かなんて基準どこにも入ってない。全然わからない。

で、裁判官は、自分の良心に基づいて判断するっていうけど、その良心がわからない、ね、裁判所は。
裁判官の良心て、霊的良心はわからないですね。これわからないです。

裁判官の中なんかでも、まあクリスチャンもいれば、もちろん仏教者もいたり、いろいろいるけどね、
彼らのその、霊的目覚めの段階はわかりませんね。

そうすると、彼らでも人の心のありようというのは、ほんと、わからないんですね。

だから裁判所の法廷で、犯罪人を前にしてね、いろいろと心証っていいますね、心の証、心証を得るっていいますね。

「これは有罪だな、無罪だな」っていう、心証というのがありますが、これも霊的直観で、もちろん判断しているけれど、
これがいま、各人に任されちゃってますね。

裁判官ていうのは、司法試験受かってね、司法研修所で法律の勉強して、そして判決文書けるようになって、
それで判事補になってね、実務研修受けて、そして裁判官になっていきますが、

彼らは、そういう法律の運用、適用についての訓練は受けておるけれども、
人間の心を観るという面での修行は足りないんですね。

これはできてない。



category: 天国と地獄

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://tlots1986.com/tb.php/142-8e25497a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)