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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

高橋信次霊言集 -反省とは- 2  

高橋信次霊言集―同時代への福音



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三歳から五歳ぐらいの間に自我が芽生える

よいですか。人間というのは、生まれて、オギァと言ってから物心つくまで、
大体十才、或いは十一、二才になってくると、まあ中学生になってくると、世間のことがある程度分るようになります。
それ迄にすでに心の歪みを造ってくるんです。

まず幼い時、子供が純心無垢かというとそうでもないんですね。
まず欲しいという気持ちが子供にも、赤ん坊にもあるんです。

ミルクが飲みたい、そのためにオギァと泣く、或いは母親に抱いて欲しい或いはおしっこがしたいとか、
こういうものの欲求ですね。幼い子供たちは欲求というものがあります。

この欲求をまず外に表わします。そして、その欲求に対する答えを求めます。

そして、その答えが自分の思った通りの答えが返ってこなかった時に、彼等は泣いたりします。
或いはわめいたりします。

この時すで自我の芽生えがあるのです。ただ、幼い子供たちはコミニケーショソの手段を知らないために、
どうしても皆同じようなことをします。自分の欲求に対する答えを求める、答えがこなければ、まあ、暴れてみたり、我儘を言ったりします。

しかし、三才ぐらいまでは大抵の人はそうでしょうが、これは三才から五才、五才から七才、
このぐらいになる内に、だんだん自我がもっと大きくなってきて、その本人の魂の傾向が露になってきます。

もう五才ぐらいになってくると、例えば、同じ物をねだるにしても、
こういうふうにねだれは効果がすぐ出る、というのが分ってくるんです。

だから、ミルクが飲みたいと思えば、例えばこういうふうにすれば一番効果が出る。
或いは哺乳ビンを投げ捨ててみる。
或いはとにかく泣いてみる。色々な方法をみんな考え始めるんです。

その中に、もうすでに自我の芽生えが出て来て、例えばどうしても自己中心的な人、
或いは控え目な人、というふうにこのあたりで色々出てくるのです。

だから、世の中の人々は、まず三才から五才ぐらいの間の自分について、かすかな記憶はあるはずです。
これをもう一度考えて頂きたい。

その時にやはり、我儘な自分というので出て来ているんじゃないかどうかを考えてみて下さい。




category: 反省とは

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