運命の開拓 -神の栄光- 6 
2019/01/07 Mon. 22:21

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霊というものは、本然自在のものである。
自由自在の存在である。
念えばすなわちそこに行動が現ずるのが霊の本質なのである。
すなわち、自らが神近き者と念えば、神近き存在へと赴き、
自らを地上的なるものと念えば、地上的なる存在として現われるのが霊である。
身長一七〇センチ、体重六〇キロというようなものが、これが霊の姿ではないということを知れ。
霊は自由自在である。霊は融通無碍なり。霊はすべてのすべてなり。
念えば地球をも見下ろすような巨大さとなる。念えば蟻をも見上げるような微細な存在ともなる。
これ霊の本質なり。
どうか、霊を形、姿あるものと思うな。これは思考せるエネルギー体である。
知性を有するエネルギーなり。
しかして個性を有するエネルギーでもある。
こうしたことを知らねばならない。
これが、霊がすべてのすべてであるという理由である。
しかして、霊の本当の本質は、霊の実相たるや、これすなわち、神そのものであるということを知れ。
ただこの神そのものである霊の本質は、さまざまなる現われ方をすることを知れ。
その現われ方の違いを知れ。その現われ方の方法を知れ。こうしたさまざまな霊の現われ方があるのだ。
ただそれは、神そのものの現われ方ではない。
神は人体のごときものではない。神は手足を有せるものではない。
神は大宇宙を創り、育んで、休むところのない偉大なエネルギーであり、偉大な、偉大な想念であり、
偉大な智恵であるということを知れ。
さすれば、霊に姿、形があるがごとく見えるのは、それはまた目の錯覚である。
意識の錯覚である。思いの錯覚であるということを知れ。
霊の本質はそんなところにはない。
霊の本質とは、またこれ良きものである。
霊の本質とは、これ善である。
霊の本質とは、これ美である。
霊の本質とは、これ寛容である。
霊の本質とは、これ無限の向上である。
霊の本質とは、これ無限の進化である。
霊の本質とは、これ無限の発展である。
そして、霊の本質とは、これ無限の光である。この事実を知れ。
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