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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

運命の開拓 -神の栄光- 6  

運命の開拓128-182


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霊というものは、本然自在のものである。

自由自在の存在である。

念えばすなわちそこに行動が現ずるのが霊の本質なのである。

すなわち、自らが神近き者と念えば、神近き存在へと赴き、
自らを地上的なるものと念えば、地上的なる存在として現われるのが霊である。

身長一七〇センチ、体重六〇キロというようなものが、これが霊の姿ではないということを知れ。

霊は自由自在である。霊は融通無碍なり。霊はすべてのすべてなり。

念えば地球をも見下ろすような巨大さとなる。念えば蟻をも見上げるような微細な存在ともなる。
これ霊の本質なり。

どうか、霊を形、姿あるものと思うな。これは思考せるエネルギー体である。
知性を有するエネルギーなり。

しかして個性を有するエネルギーでもある。

こうしたことを知らねばならない。
これが、霊がすべてのすべてであるという理由である。

しかして、霊の本当の本質は、霊の実相たるや、これすなわち、神そのものであるということを知れ。

ただこの神そのものである霊の本質は、さまざまなる現われ方をすることを知れ。

その現われ方の違いを知れ。その現われ方の方法を知れ。こうしたさまざまな霊の現われ方があるのだ。
ただそれは、神そのものの現われ方ではない。

神は人体のごときものではない。神は手足を有せるものではない。

神は大宇宙を創り、育んで、休むところのない偉大なエネルギーであり、偉大な、偉大な想念であり、
偉大な智恵であるということを知れ。

さすれば、霊に姿、形があるがごとく見えるのは、それはまた目の錯覚である。
意識の錯覚である。思いの錯覚であるということを知れ。

霊の本質はそんなところにはない。

霊の本質とは、またこれ良きものである。

霊の本質とは、これ善である。

霊の本質とは、これ美である。

霊の本質とは、これ寛容である。

霊の本質とは、これ無限の向上である。

霊の本質とは、これ無限の進化である。

霊の本質とは、これ無限の発展である。

そして、霊の本質とは、これ無限の光である。この事実を知れ。


-神の栄光- 5

-神の栄光- 7



category: 神の栄光

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