運命の開拓 -神の栄光- 5 
2019/01/06 Sun. 23:24

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四: 霊
神の栄光を語る時、霊の本質ということを考えないわけにはいかないのである。
人間はこの霊という言葉に、摩詞不思議な印象を与えておる。
そうして、この霊という言葉に、良くないイメージを持ち、良くない響を持ち、不吉なイメージを持って、
自らの肉体であることをよしとしておるのではないだろうか。
まるで、自分の衣服が自分自身であるかのように、鏡に映った自分の姿を誤解する者がいる。
しかし、衣装は衣装であって、人間そのものではないということを知れ。
霊というものの本質を知って生きていくことが、本当の神の心のありかを教えてくれるのである。
人間は、過去、何百回、何千回となくこの地上に生まれきて、
あの世とこの世の間を転生輪廻してきておる存在なのである。
それが、この神が創られた世界の秘密であるのだ。
そしてそれは当然の原理であり、原則であり、誰もが否定できない真実である。
しかし、その真実を忘れ、霊ということを見落としておるのが、ほとんどの人間ではないであろうか。
霊ということを否定することをもって、知識人の代表であるかのように語っておるのが、
現在の代表的な人たちの考えではないだろうか。
霊ということでもって肩をすくめ、霊ということでもって恐れおののき、霊ということでもって線香か抹香か、
そうしたものを思い浮かべるようであっては、人間とははなはだ情ないものである。
それは、自分の本当の名前を忘れ去って、自分の本当の住処を忘れ去った迷子の姿であるのです。
人間は迷子になってはならぬ。あくまでも本当の姿、自分の本名というものを忘れてはならん。
本名はすなわちこれ霊なり。肉体はこれ仮の名なり。
こうしたことを忘れてはならない。
それでは、霊とは一体何であろうか。
霊とはすべてのすべてである。まずこれを知れ。
ただ、この霊の中に、さまざまな霊があり、霊姿がある。
地上におる霊的能力者が、霊を見たと言っても、霊を感じたと称しても、これにさまざまなる、甲乙なる霊姿がある。
ある時には病める霊あり。ある時には病もないのに病を見て苦しめる霊、傷もないのに傷を痛がる霊、
心臓もないのに心臓を病む霊、胃もないの胃が痛いと訴える霊がある。
これらは、霊の本質を知らぬ者だ。
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category: 神の栄光
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