運命の開拓 -神の栄光- 4 
2019/01/05 Sat. 14:15

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神が人間に与えられた一つの大きな力は、この心の創造作用ということだ。
心がものを創り出しているのだ。概念を創り出してゆく、
念いを創り出してゆくという力、こうした創造力を持っておるのだ。
したがって、こうした創造力を自由に使えない花は幸せである。
彼らは美しいものを美しく現わしておるだけである。
ところがこうした自由な創造力を与えられているがために、人間はこの創造力を駆使して掲ある時は美しく、
ある時は醜くなろうとするのである。
なぜ醜くなってしまうのか。それは、心の中において、
その純粋な神の心の実現を妨げんとする思いがあるからだ。
たとえば知れ。どのような悪人であっても、子供と戯れておって笑顔でいる姿は美しいとは思わぬか。
その悪人がなぜ凶悪な顔をして、犯罪を犯すのか。
彼らも子供たちと戯れる時の姿は実に天真欄浸で美しい。
それがひとたび、罪を犯さんとしたときに、その顔が凶悪な顔と変わってくるのではないのか。
すべてがそうしたものだ。
すべてが心の現われであることを知れ。人間には大いなる心の自由を与えられたということを知れ。
大いなる自由を与えられたることにより、善きことも悪しきことも実現ができるようになったのだ。
本質において善であるのだけれども、こうした迷いが悪を生むに至ったということである。
まず、本源に立ち還れ。まず、本当の姿に立ち還れ。美を妨げるものは心の悪である。
その心の悪というものが本当はないということを知れ。
その心の悪というものは、本来の心の働きを阻害しているものだと知れ。
川の流れをせき止めているものだと知れ。
美というものはそのままで美しくなっていくのだ。そのままが美しいのだ。
素直に「はい」と受ける心が美しいのだ。
人間として生まれて、神から命を与えられて生きている、
この使命を素直に「はい」とそのまま受けて、素直に生きていくところに人間の美しさがあるのだ。
ただこの素直さをどこかに人間は忘れ去っておるのだ。
それは自分が知と意で学んだこと、考えたこと、こうしたものによって失われておるのだ。
どうか、ただそのもので美しいという心境を忘れてはならない。
それは努力によって取り戻すものではない。
いらぬ努力をせぬことによって本来の美しさが取り戻せるのである。
すなわち、本来あるべき美の姿を人間が取り戻すために、素直な心となれ。
まずこのことが、何にも増して大切であるということを知れ。
素直になるということは、ありのままに見、ありのままに感じ、ありのままに思い、ありのままに喜ぶということだ。
こうした幼な児のような素直な心にならねば、本当の美というものを実感することはできない。
こうしたことを人間は深く深く、思い至さねばならない。
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category: 神の栄光
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