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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

谷口雅春霊示集 -本来肉体なし- 3  

谷口雅春霊示集128-182


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唯物論者ニコデモの話

さて、私も、『ヨハネ伝講義』という本を書いたことがありますが、
そのなかでも解説をしておきましたが、教会の長老、律法学者の長老にニコデモというのがおった。

そして、このニコデモという老人が、イエスに生命の実相のことを問うたわけです。
ひとたびそれに対して、イエスは、何と言ったか。

「生命の実相、霊の本質は、人はもう一度生まれ変わらねばわからぬ。
霊の本質というのは、生まれ変わらねばわからぬ」と。

こういうことを言っておるわけです。
これを聞いて、長老ニコデモは大変悲しんだわけであります。

自分はすでにもう何十歳、死ももうそう遠くない。白髪の老人である。
その年寄りの人間が、もう一回母の胎内に入って生まれ変わらねば霊のことはわからぬというのであるならば、
これは、かぎりなく絶望に近い。そういうふうに感じたわけですね。

そこで、「人、早老いぬれば、いかで生きることを得んや、再び母の胎内に入りて生まるることを得んや」と、
こういうふうなことをニコデモは申しておるわけです。

このニコデモの話を、私もよくいたしました。

しかし、結局は唯物論だと言うてしまうのはかわいそうであるけれども、
ニコデモという老人は生命の本質が肉体ではなく霊であり、生き通しの存在であることを、
まだしかとは理解しておらんかったということなんですね。

このニコデモに対して、イエスはさらにこう言うわけですね。

「人の子、あるいは、霊というのは、いずこより来たりて、いずこに去るかは、世の人は知らず。

それは風と同じである。風というのは、どこから吹いてきて、どこへ吹いていくのか。
これを人は知らんであろう。そのように、霊というものも、どこから来て、どこへ去っていくのか人は知らん。

ただ、それは知る知らずを問わず、現にあるのだ。風に来る方向があり、向かっていく方向があるように、
霊というものも、来たるべきところがあり、去っていくべきところがあるのだ。

そして、その霊の本質というものは、久遠の実在であり、生き通しの生命であるのだ」

こういうことを、イエスはニコデモにこんこんと説いたわけです。
そして、ダメ押しの言葉とも言えることを、さらにたたみかけております。それは一体何であるかと言うと、

「我はアブラハムの生まれぬ前(さき)よりあるなり」

当時、アブラハムというのは、人類の先祖、まあ、こういうふうに言われておったわけで、
最初の頃にもね、イスラエル民族の先祖と言いますか、イスラエル民族の先祖ということは、
すなわち、人類の先祖ぐらいに思われとったのですね。

まあ、当時の世界観では、イエスの二千年ぐらい前に人類の起源があったとしか
人びとは考えていなかったわけであります。

そのアブラハムという人も、同じように人類の先祖のように思われておったけれども、
ただ、数千年ぐらい前のように思われておったということですね。けれども、大変な昔であることは確かです。

しかし、イエスは、「我れはアブラハムの生まれぬ前よりあるなり」ということを言った。

だから、ニコデモは大変驚いたわけです。そこで、思わず、こう言った。

「汝、まだ、齢わずか三十何歳にしかすぎんのに、すなわち、五十歳にもならんのに、
私の年にもなっておらんのに、どうしてアブラハムの生まれる前からあったと言うのか。
まことに不思議なことがあるものだ。不思議な言葉があるものだ」

まあ、非常に気の毒な例を出して申し訳ないけれども、霊の実相ということを、
この方はまだ知らなかったというわけです。しかし、イエスは自信を持って言っとるわけですね。

「我れはアブラハムの前から生きておった生命だ。生き通しの生命なのだ」と。

ところが、当時のユダヤの人びとから言えば、アブラハムより前からおったということは、
人類より先におったということだ。

この人類の始祖より前におるということは、もう神と同じということですね。

結局、人間を創り給うた造物主、神、これと同じであるということだ。
すなわち、イエス・キリストは、自分を神だと名のった、と。

まあ、こういうふうに伝わっていったわけであります。

そのため、イエスの言ったこの真理、「アブラハムより前にあるなり」という真理が、
誤解され、曲解されてしまった。

イエスは、頭がおかしい、頭がいかれておるのだと、このように誤解を受けたわけであります。
そのため、ますますイエスへの迫害が重なっていったわけであります。

ただ、真実を述べるとするならば、イエスの真理は、私が説いておったこととやはり同じでありまして、

「肉体人間は、そなたの実相ではない。心のなかを見よ、そこに生き通しておる生命の実相こそ、汝が本質なり」と、

まあ、こういうことをイエスは言ったわけであります。

しかし、当時の人たちで、その生命の実相をつかむことができる人は、ごく少なかったということです。


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category: 本来肉体なし

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