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神理の発見

私たちが生きていく上で一番大切なもの、そして真の幸福へと導いてくれるもの
もしそうしたものがあるならば、それは本当の意味での宝かもしれません。
それが誰によって書かれていたとしても、たとえわずかな期間に書かれたものであったとしても
その中に神理の光が宿っており、真に人々を幸福に導く法であるならば
それを後世に残していくことが使命であると思いこのブログを立ち上げてみました。
これからすばらしい神理が発見できれば、ここにて紹介してゆこうと思っております。

谷口雅春霊示集 -本来肉体なし- 2  

谷口雅春霊示集128-182


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久遠の実在を喝破したイエス・キリスト

肉体というものは滅びるとしても、永遠の実相たる魂の本質は、決して滅びないのです。
滅びてゆかんのです。

イエスは言いました。「天地は過ぎゆかん。されど我が言葉は過ぎゆくことなし」と。

こうした名文句をイエスは吐いております。

我が言葉は過ぎゆくことなし。
この言葉というのは、単に言の葉、つまり、文字のことを言っておるのではないのです。

この言葉というのは、生命の息吹であり、生命の本質であり、生命の実相ということなのです。

イエスという人間の生き方そのものが言葉であり、
生命の息吹であり、実相であったわけであります。

すなわち、このイエスの生命の実相は過ぎゆくことなし、とこういうことを彼は言ったわけであります。

神の子としての高貴なる魂の本質、これは滅びることはないのだ、と。

イエス来たりて語りたもうたその言葉は、
三十三年の肉体人生をもって終止符を打たれるのではないということです。

終始符は、そんなことでは打たれはしない。
我が生命は、イエスの生命は、久遠の実在であって、アブラハムの生まれるより前にあるなり。

そういう生き通しの生命であるのだ。それがゆえに、
三十三年で肉体生命は閉じたとしても、その後二千年、現に生き続けておるではないか。

その生命は、その思想は、その言葉は。そうではないだろうか。

したがって、この言葉こそが久遠の実在であり、イエスの本質であって、
髭を生やした痩せた三十年配の男など、イエスの本質ではないのです。

そうしたものは過ぎゆくものであって、十字架にて滅びたものはイエスの本質ではなくて、
イエスの亡骸であり、抜殻であり、蝉の殻にしかすぎんということです。

その本質は、生き通しの生命であり、決して決して亡びることはないものであるのです。





category: 本来肉体なし

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